25年

「ねぇねぇ。アナタ、パパになるのよ! だって、お腹にはアナタの赤ちゃんがいるの」
あの日の君の、太陽のような笑顔は一生忘れられないよ。

「ねぇ、ママ! ピンクのショルダーバッグ、知らなーい? どこに置いたっけ?」
リビングの奥から娘の声が響く。
「見なかったわよ。自分の部屋に持って入ったんじゃないの?」
君は優しく答える。
あったあった、と安堵した表情の娘がリビングに入ってきた。
「もうすぐカレが迎えにくるから」
「ねぇ。例の彼氏って、大丈夫なの?」
「大丈夫って、ナニが?」
「仕事、してないんでしょ?」
テーブルの椅子に腰掛けた娘を見つめながら、心配そうに君は言う。
「だって、バンド活動で忙しいんだもん」
「バンド活動って……。ちゃんとした仕事をしてて当たり前の年齢でしょ?」
「うるさいっ!」
娘の甲高い怒声。君は涙目になりながらも、娘を見つめ続ける。
「アリサのためを思って──」
「ママには関係ないでしょ! 放っといてよ!」
テーブルを拳で叩きつけると、娘はヒステリックな表情のままリビングから出ていった。君をひとり残したリビングに無音が漂う。しばらくして、玄関のドアが激しく閉じられた。
君の口から深いため息が漏れた。

電話の呼び出し音が鳴った。
君はスリッパをパタパタいわせながら、リビングの隅へと急ぐ。
「あぁ、おかあさん」
どうやら母親からの電話みたいだ。
「そうなの。あの人の会社が傾いちゃって。真っ先にリストラの対象になったのがあの人なの……」
憂鬱が声色に滲む。
「あと数ヶ月は貯蓄を崩してなんとか──うん、もし仕事の目処が立たなかったときは──うん、お金、貸して欲しいの」
電話の横に据え付けたメモ帳から一枚破り取り、手のひらでクシャクシャに丸めた。
「そうなの──アリサもねぇ……。派手な髪色にタトゥーの入った彼氏と付き合ってから、すっかり──そう、変わっちゃったの。すごく反抗的な娘になっちゃったし」
ついさっきの母娘の会話を思い返すと、胸が痛んだ。
「あっ! おかあさん。電話切るね。ごめんね──うん、じゃあ、また」
小声になり、受話器を静かに置く。君は物音のするほうに視線を移し、肩をすくめた。ヤツだ。ヤツが来る。
リビングのドアが激しく開けられた。戸当たりが壁を打つ音が大きく響く。
「おい! コソコソ電話してんじゃねぇぞ! どうせ俺の陰口言ってたんだろ!」
ヤツは明らかに泥酔している。目が据わり、赤黒い顔色。足元はおぼつかない。
「電話なんか──」
君が喋ろうとした瞬間、ヤツの拳が君の目元を打った。あまりの衝撃に君は尻もちをつき、後頭部を壁に打ちつけた。君の悲鳴が耳をつんざき脳に突き刺さる。
「ごめんなさい。ごめんなさい! ごめんなさいっ!」
床に顔を突っ伏したまま、泣きわめくように君は謝罪した。でも、謝る理由なんてない。君は何ひとつ、謝るようなことはしていない。
土下座のような姿勢で謝り続ける君の頭を、ヤツは無造作に踏みつけた。悲痛な叫びがどんどん大きくなる。
君が悲鳴を上げるたびに、心臓が痛み、腹の底から凄まじい怒りが込み上げた。血液が一気に体内を駆け巡る。
「もう、やめてっ! お願い! お金なら私が働いてなんとかするから! アナタのことは何も責めてないから! もう許して──」

あの日、産婦人科から出てきた君を、偶然見つけた。あの日から君をストーカーして、もう25年。そりゃ、君にも白髪が増えた。君のしてきた苦労は、僕がすべて知ってるよ。
「ねぇねぇ。アナタ、パパになるのよ! だって、お腹にはアナタの赤ちゃんがいるの」
あの日の君の、太陽のような笑顔は一生忘れられない。これまでもこれからも、僕が見守り続けるからね。
でも、ストーカーは今日で終わりにする。終わりにしなければならない。だって僕には君を守る義務があるから。
僕は屋根裏の定位置から体をズラし、包丁の柄を握る手に力を込めた。

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