白い昆虫

「新学期がはじまったばかりなんだけど、みんなに寂しいお知らせがあります」
 夏休みが終わり、教室には日焼けした生徒たちの元気な顔が並ぶ。陽気だったその表情も、突然の報告に曇りを見せる。小学校低学年の子供でも、異変には敏感なものだ。
「急なんだが、健太が転校することになった」
 教室内が一気にざわつき、口々に発する声が渦となった。ショックを受ける者もあれば、信用せずにふざけはじめる者もいた。
「今週いっぱいで健太は転校しちゃうけど、それまでの間、たっぷり思い出を作って見送ってあげような」

 放課後の校庭には子供たちの無邪気な声が響く。夏休みの宿題のチェックを終え、職員室を出たときだった。
「先生! 僕たち夏休みに、健太とこれを捕まえたんだ」
 生徒が手にしていたのは虫かごに入ったカブトムシだった。
「転校しても僕らのことを忘れないように、健太にプレゼントしようって決めたんだ」
 誇らしげに虫かごをこちらに突き出す。自分たちで考えた名案に満足するように、生徒たちは互いの顔を見合わせた。
「残念だけど、それはできないんだよ。健太が転校するのは日本じゃなくてアメリカなんだ。だから、カブトムシは持っていけないんだ。そのカブトムシは思い出として、クラスみんなで飼おうよ」
 あっさりと名案が廃案になったことで、生徒たちは肩を落とし、小さく頷きながら現実を受け止めた。

「今日で健太はこの学校を去ってしまうけど、またいつかみんなで会える日がくると思う。今はインターネットの時代だから、どんなに距離が離れていても、いつだってつながることができる。さよならは寂しいけれど、いつまでも仲良くいて欲しい」
 最終日のホームルーム。締めの言葉を生徒たちに伝えたときだった。
「先生! カブトムシは健太にプレゼントできなかったけど、みんなで絵を描いたんだ。かわりにこれを健太にプレゼントするよ!」
 その言葉をきっかけに、クライメイト全員が机の中から一枚の絵を取り出し、頭上に掲げた。それは、虫かごに入ったカブトムシの絵だった。
 なるほどなぁ。生きたカブトムシはプレゼントできないけれど、絵だったらなんの問題もない。子どもながらによく考えたもんだ。
 教室はみんなの絵で埋め尽くされた。それを見た健太が、教室のざわめきに負けないほどの大きな声で叫んだ。
「僕からもプレゼントがあります!」
 健太は足元に置いたカバンを漁ると、みんなと同じように一枚の絵を取り出した。そこには、真っ白なカブトムシが描かれていた。見慣れないその昆虫に、生徒たちは一瞬にして黙り込んでしまった。
「これはアメリカに生息してるシロカブトって名前のカブトムシなんだ。かっこいいだろ? これから僕の暮らす国では、こんなカブトムシがいるんだぜ。だから、この絵をみんなにプレゼントしたいんだ!」
 シロカブトのことは、幼少期に昆虫図鑑で読んだ気がする。健太が次に捕まえるカブトムシはシロカブトか。その姿を思い浮かべると、幼くして異国に移り住み生きるたくましさに、おとなげもなく嫉妬してしまった。
「あと、僕はメジャーリーグで活躍するのが夢だから、ぜったいにそれも叶えてくる」
 そうか。健太の夢はメジャーリーガーになることだった。少年野球チームでも、かなりの成績を残していたと聞く。日本国内でプロになったとしても、夢を掴むには、いつか海を渡らなければならない。先に海を渡ってから、そのままメジャーリーグで名を轟かせる。この転校が彼を夢に近づけるってことか。
「このボールもみんなへのプレゼントとして置いていくな!」
 それはメジャーリーグで使われている公式球だった。健太はストレートボールの握り方で、白球をみんなの前に突き出した。
 両親の離婚が原因で渡米する少年。不倫が原因だったらしいと、教師たちの会話で耳にした。テレビや週刊誌で不倫問題が賑わっているが、大人の選択の影響は少年の肩にものしかかってくる。ただ当の本人は、真っ黒に日焼けした肌に、白い歯をニッと浮かべ笑っている。彼なら大丈夫だなと確信した。
 力強く握られた白球と、画用紙に描かれた真っ白なシロカブト。純白の気持ちで夢を追いかける少年。揺るぎない夢への主張に胸が熱くなった。
 お別れの時間が来て教室をあとにする健太の後ろ姿は、夏休み前よりもずっと大きく見えた。