縁側花火

「おっ、と」
 老体は、不格好に足を滑らせた。
 地上からおよそ200メートル。とあるビルの屋上。コンクリートの出っ張りに二つの老体が並ぶ。
「すっかり身体の自由がきかなくなったわ」
 年かさの老体がこぼす。
「ワシらも年を取りましたなあ」
 二つ並んだ老体は、眼下に広がる街を見渡した。すっかり変わってしまった街並み。たくさんあったはずの緑が減ってしまい、街を凸凹に見せるビルが増えた。
「そういや今日は、花火大会の日じゃなかったですか?」
「そう。今日は花火大会の日」
「それでここに来たというわけですかい?」
「そのとおり。花火大会はここで観るに限る。最も眺めがいい場所なんじゃよ」
「どこから観ても変わらない気がしますが、そんなに違うもんですかねえ?」
「時間の流れを感じながら、ゆっくり花火を観られるんじゃ。まるで縁側でひなたぼっこしてるみたいにのう」
「それは風情があってよろしいですな」
 年かさの老体はある年の花火大会から、ずっとこの場所で打ち上がる花火を眺めている。ひとりぼっちのときもあれば、気心の知れた仲間たちと観るときもある。
「カミさんも早々と逝っちまったからのう。すっかり、ひとりぼっちが似合う老いぼれになっちまったよ」
「亡くなられて、もう何年経ちますかいな?」
「もう30年になるなあ。長いようで早い30年じゃった」
「病気か何かで?」
「いやあ。銃で撃たれたんじゃ。この世の中は物騒になっちまった。一緒に散歩していたんじゃが、ちょっと目を離した隙にカミさんは撃たれっちまってた。即死だったよ」
「それはそれは……。深掘りして聞く話じゃなかったですな。申し訳ない」
「いやいや、気にせんでくださいや。まあ、よくある話だ。おたくのカミさんにも用心するよう言ってあげたほうがいい。いつどこで銃声が響くか分かりゃしない」
 年かさの老体は、切れ長の目を細めて微笑んだ。

 その音は凄まじい迫力で迫ってきた。
 地上からおよそ200メートルの縁側には、轟音と熱風が注いでくる。その臨場感は地上とは比べ物にならない。
「おお、確かに絶景ですな!」
 若いほうの老体が、感嘆の声を上げた。
 赤、橙、青、黄、それに緑。豪快な音を空に響かせ放たれたそれぞれの色は、華やかに輝いてはゆったりと地上を目指し、夜空の闇に飲み込まれて行く。優雅に広がる鮮やかな模様も、全ては黒色に変わる。地上からは歓声と拍手。それに呼応するように、次から次へと力強い花火が打ち上げられる。
「カミさんとの出会いは、この花火大会だったんじゃよ」
「ほう、それは甘酸っぱいお話で」
「花火が最も綺麗に観られる特等席を知ってるから来ないか? ってな具合で、カミさんを誘ってのう」
 花火の重低音が心臓を刺激する。それに合わせて感情も高ぶってきたのか、年かさの老体は声高に語りはじめた。
「お前さん、知っとるか? 本気で惚れた女が隣におったら、すぐ目の前で色鮮やかに花火が輝いていようが、そっちのけじゃ。花火なんか観てる暇、ありゃあせんよ」
「ウチの嫁は不細工なほうですから、そんな気分は味わったことないですなあ」
「ワシのカミさんは、たいそうベッピンじゃったからのう。花火のやつが嫉妬するくらいになあ」
 絶え間なく、夏の夜空に花火は打ち上がる。過去の時間を押し出すように。そしてそれを見送るように。
「花火を観ていたカミさんはこう言ったんじゃ。目の前で花火を見てみたいとな。ヨッシャと一声、一緒に花火に近づいて行ったわけさ。輝く花火のすぐそばで何をしたと思う?」
 年かさの老体は、少女のようにウインクして見せた。
「キスじゃ」
「あっぱれ! お見事! しかし、花火は近づいて観たほうが余計に綺麗でしたか?」
「はて。そういや、接吻に夢中でよく覚えとらんなあ。せっかくの機会だ、花火の近くまで行ってみようか」
「そうしましょう、そうしましょう!」
「ただし、お前さんとは、キスせんがな」
 年かさの老体は、豪快に笑った。若いほうの老体も笑った。
 コンクリートの出っ張りから花火に向かって、二羽の鳥が飛び立った。