博士の愛した人

 人は失ったものを取り戻せる。人は途切れたものさえ紡ぎ続けられる。やり残したことのないように、そうやって生きたいと思いました。私のささやかな行いを聞いてください。

 部屋のあちらこちらに、たくさんの木製フォトフレーム。その中には、ぴったり私に寄り添いながら、屈託ない笑顔を見せる妻の姿。まだ結婚する前、あどけなさの残る表情の二人や、はじめてデートに訪れたテーマパーク、観覧車の中でレンズを見上げる二人の姿がそこには写っている。いがみ合う険悪な表情を写真に収める人は少ないでしょう。おおよそ、写真の中の被写体は、笑っている。喜び楽しみ笑う瞬間が、そこには切り取られている。だから私は、部屋中をたくさんの写真で埋め尽くすのです。
 でも、三十歳を過ぎてからの二人の写真は、それまでのものとは違う。パッ、と見ただけでは、気づけやしないはず。きっと、それまでの写真も、それからの写真も、同じような印象を受けることでしょう。でも、三十歳を過ぎたあとの写真は違っている。なぜなら、私の妻は、三十歳のときに他界しているのですから。

「ごめんなさい……」
 謝らなくてもいいよと、ベッドの上、顔色をすっかり失ってしまった妻に私は言いました。
「せっかくあなたと出会えて、二人、幸せに生きられると思っていたのに。ほんとうにごめんなさい……」
 妻の目からは止むことを忘れた涙が、幾筋も流れました。君がどれだけ謝ろうとも、私には感謝の言葉以外見つからない。そう言いながら、妻の頭を撫でてやりました。それが妻との最後の瞬間でした。
 じゃあ、どうして三十歳を過ぎたあとの写真が、こんなにもたくさんあるんだと、疑問に思う人も多いことでしょう。それこそが、私のささやかな行い。私が最愛の妻を感じ続けられる行い。なあに、簡単なことです。画像編集ですよ。
 近ごろの画像編集の技術は、目を見張るものがある。ひと昔前のような、仕上がりに違和感ばかりが残るお粗末なものとはまったく違う。写真の中に、妻そのものを、はっきりと蘇らせることができるのです。
 三十歳を過ぎた妻は、もっと妻らしさが板についていたに違いない。そんなことを思うとすぐさま、パソコンの前に座り、私のために和食を拵える妻の様子を描き出します。私はきっと、妻が拵えた小鉢の数々を見ながら、胸を躍らせ、少年のようにそれらを食したに違いありません。そんな無邪気な私を見て妻は、「ちょっとしょっぱかった?」などと聞くはずですから、そんなとき私は、「ちょうどいいよ」と答えることでしょう。
 そんな風にして私は、妻のことを思うたび、写真の中に妻を描き続けました。気づけば、私の家の中は、妻の写真で溢れていた。つい昨日の妻の様子も、しっかりと写真の中。確かに記録されています。

「おかえりなさい!」
「ただいま」
 こんな何気ない会話が、どれほど貴重だかお分かりいただけるでしょうか。おかえりと言ってくれる人がいて、ただいまを言える相手がいる。人は誰かに属していると感じるからこそ、日々を穏やかに過ごせるものです。それを持たない人は、時にそのことを自由などと表現しますが、心は決して自由ではないでしょう。私の家には、私の妻がいる。今こうして、目の前に、私の愛おしい妻がいる。
 頭がおかしくなったのか。気でも違ったのか。そう心配された人も多いことでしょう。決して気など違っちゃいませんよ。現代の技術の力を借りれば、なんだって実現できるもの。こうして妻ともう一度、生活を共にすることだってできるんですから。
 ヒューマンドールというものをご存知でしょうか。簡単に言ってしまえば、人間そっくりな人形。そんな言い方をしてしまうと妻に怒られてしまうかも知れませんが、要するにそういうことです。人形と言っても、その精密さには、ただただ目を見張るばかり。近くに寄り添って見てみても、人間の肌そのものだし、触れてみても、確かに人間の感触がある。そっくり、という表現が陳腐に感じるほど、人間そのものなのです。そのヒューマンドールに、人工知能を持ったプログラムを組み込むことで、今、こうして妻は私の帰りを笑顔で迎えてくれる。妻が亡くなってから、生きる目的を失い、人としての正常な心を失っていた私と、ようやく決別することができたのです。
「ご飯、少し固かったかしら?」
「ちょうどいいよ」
「仕事、どうだった?」
「学会の発表が控えてるっていうのに、なかなか資料の作成が進まなくってねえ。コーヒーとタバコが止まらんよ」
「いつまでも健康でいてもらわなきゃ困るのに、あんまり無茶しないでくださいよ」
 妻がその小さな口の中に、箸で刻んだじゃがいもを放り込む。小刻みに動く妻の口。こんなささやかな光景が、何よりの幸せなのです。
「お前だって、いつまでも健康でいてくれよ」
「はい」と、妻は微笑んだ。

 そうは言っても、技術に頼っていることは否めません。妻のバッテリーが切れてしまい、動作が停止していることに気づくこともあるのです。
 帰宅時には、いつも玄関まで迎えに来てくれる妻の姿が、どこにも見当たらなかった、なんてこともありました。おそらくバッテリー切れだろうと思ってはみたものの、部屋やトイレや風呂場を探しても、妻の姿が見つからず、ようやくその姿を発見できたのはベランダ。洗濯物を取り込んでいる最中に、バッテリーが切れてしまったようでした。冬の寒さが原因で、バッテリーの消耗が早まってしまったらしく、取り込もうとした洗濯物に手を伸ばしたまま、妻はベランダで停止していました。
 電力会社のトラブルで起こった停電の日には、もっと辛い思いをしましたよ。電力が供給されないため、妻の充電ができず、暗闇の中、身動きひとつしない妻の隣で、随分と心細い経験をしました。そばに妻がいるのに、呼んでも返事ひとつしてくれない。原因が分かってはいるものの、私はすっかりしょげ返ってしまいました。そんなアクシデントがあると、さすがに妻が本物の妻でないことに、嫌でも気付かされてしまうのです。

 先日、私は妻と一緒に外出をしました。それまで人工知能で動く妻を外に連れ出したことはなかったのですが、ふと、一緒に海を見に行きたくなったのです。なぜ海かと言いますと、私たちが最初にデートをしたのが、海だったからです。
 海でのデートと言っても、海水浴やサーフィンを楽しむなんてもんじゃありません。ある港町を訪れ、防波堤に腰をおろし、規則正しく揺れる波を眺める。無言の中に、時折、会話を挟むだけ。
 春のはじめ頃だったのですが、あの日は少し冷たい風が私たちを吹きつけていました。はじめてのデートに海でも行っておけば格好がつくだろうと、そこを選んだわけですが、お互いすっかり身体を冷やしてしまいまして。でも、それが幸いして、当時、妻は私の腕にぴたっとしがみつき、寒さを凌ごうとしてくれました。最初のデートにしては、刺激的な時間を過ごしたもんです。あの海をもう一度見たくって、私は妻を連れ出したのです。

「なあ」
「なんでしょ?」
 まるであの日の通りだ。防波堤に座りながら、妻とぼそぼそ喋る。
「幸せって、何だと思う?」
「幸せ……ですか?」
「そう。幸せ」
「やっぱり、愛おしく思う人と、ずっと一緒にいられることじゃありませんか」
 人工知能がそうさせているのか、それとも妻本来の意思なのか、妻は私の腕にぴたっと寄り添い、あの日のように、寒さを凌いでいる。変わり行くものはたくさんあるけれど、こんな風に、変わらないものもあるのです。こうして眺めている景色だとか、触れ合う肌の温度だとか、匂い、音、風。どんどんと様変わりする世に焦りを感じる必要はないのです。こうして私が妻との時間を楽しむときのように、心の中に悠長な気持ちを持っているのが大切なんです。
「愛おしい人がいなくなっちゃ、不幸に思うかい?」
「不幸とは思いませんけど……寂しいですよねぇ。やっぱり」
「寂しいよなあ」
「えぇ。きっと、寂しいでしょうねぇ」
 カモメが一羽、心地良さげに飛んでいる。何を考えるでもなく、その様子を眺める。ふと、目から涙がこぼれていることに気づきました。そうなんです。ずっとずっと、寂しかったんです。本当に寂しかったんです。でも、こうして妻が隣にいてくれるから、もう何も望まないんです。
 涙を見られまいと、少しだけ妻に背を向ける。思い出したようにあのカモメを探してみると、もう、こっちにもあっちにも、カモメの姿はなくなっていました。

 いつもと変わらない食卓。キッチンには妻の姿。どうやら食事ができあがったようです。配膳くらいはと、私もキッチンに立ちますが、座っててくださいと妻。すまないねえと言いながら、改めて椅子に腰掛ける。
 妻がテーブルの向かい側に座っている。基本的に私たちは、それほど会話が多くない。食事中も静かなもんです。妻の小さな口が、小刻みに咀嚼を続け、私は時折、それを眺めます。それに気づき、どうかなさいましたかと尋ねる妻。いいや、とだけ答えて、私は少しはにかみます。いつも通りの時間。いつも通りの風景。そして、いつも通りの幸せ。
 急に妻の動作がスローテンポになり、私の問いかけに返事する声色も少し低くなってきました。私はすぐに、妻のバッテリーが切れかかっていることを察しました。それから五秒も経たないうちに、妻の動作は完全に停止してしまったのです。
「おかしいなあ……」
 私はひとり言を呟きました。こんなにも急にバッテリーがなくなることなんて、未だかつてなかったからです。
 妻の様子を見るため、椅子から立ち上がろうとしました。しかし、思うように腰に力が入りません。おかしく思い、腰に手を当てて確かめようとしても、今度は手が動きません。妻のそばに行ってあげたいのに、身体が思うように動きません。徐々に視界も悪くなってきました。目の前の景色が、ぼんやりと白んで行きます。妻の顔もぼやけてきました。予想すらしなかった事態が起こっているというのに、気持ちを焦らせることすらできず、意識はどんどん薄くなって行くばかり。妻のそばに寄ることを諦めた私は、せめてもの思いから、自らの手を伸ばし、妻の小さな手の上に重ねました。私の愛おしい妻のその手の上に。

 ベッドに横たわる博士の目に映っているのは、食卓の上で眠ったように息絶えた夫婦。彼らは共にヒューマンドール。正確には、息絶えたわけではない。経年劣化の末、物質としての寿命を全うした。
 彼らは、博士の心臓の動きを動力として駆動していた。彼らの寿命が途絶えたことはすなわち、博士の死が迫っていることを意味する。
 夫のほうは、博士自身の若かりし頃。妻のほうは、三十歳という若さで他界した、博士の妻。若くして妻を失った博士は、失ったものを取り戻したくて、途切れたものを紡ぎ続けたくて、妻を作り出した。しかし、その頃にはもう、博士本人はすっかり年老いていた。せっかく妻を作り出したものの、老体の身体では満足に妻とは暮らせないと考え、もう一体のヒューマンドール、博士自身をそこに作り上げた。
 ベッドの上に身体を横たえながら、歩めなかった自分と妻との半生を眺めて生きる。それこそが博士の幸せだった。こんな形ではあるが、博士は、自分と最後まで寄り添ってくれた妻に、心の底から感謝していた。
 力なく閉じようとする博士のまぶた。命が消え行く中、力を振り絞り、最後の思いを込めて、「ありがとう」と妻に伝えた。すると、最後の力が駆動力となったのか、食卓に伏した妻が少し身体を震わせた。よく見ると、妻の手は、重ねられていたはずの夫の手をしっかりと握りしめていた。