番台

「やいっ新人!」
 ビクッとして声に目をやる。そこには素っ裸のおばちゃん。母ちゃんよりも年を取った女の人の裸。見ちゃいけないものを見てしまった気がして、目を逸しながら返事をした。
「どないしはったんですか?」
「これから風呂屋の仕事手伝って行かなあかんのに、女の裸も見られんようじゃ、仕事務まらんで! もう小学六年生やろ? もっと堂々とせなあかんでぇ」
 裸のおばちゃんは言い終わると、ゲラゲラ笑いながら、コーヒー牛乳買いたいから両替して欲しいねん、と僕に千円札を手渡した。

 新米の僕に与えられた仕事は、番台に座ること、営業が終わった後の脱衣所掃除とお風呂掃除。番台の仕事は、どこに目をやっていればいいのか分からず、ちょっと困る。一番しんどいのが、お風呂掃除。たわしで床をゴシゴシと洗って行く。番台から見るとそれほど広くない風呂場も、実際に掃除してみると、果てしなく広く感じる。嫌いな仕事。
 母ちゃんが倒れたことで、僕は中学校への進学を諦め、風呂屋を手伝うことになった。もちろん友だちはみんな進学する。こんな時期に倒れた母ちゃんも、そんな自分の運命も、どっちも憎らしかった。でも、この仕事を手伝っていて、幸せな瞬間がある。それは、あの子が風呂屋にやってくるとき。

「あの……。すみません。ロッカーのカギに付いてるゴムが切れてしもたんです……」
 恥ずかしそうに番台の僕を見上げる。たぶん僕と同い年くらいの女の子。僕がカギを直しているのをジッと待つ姿も、バスタオル一枚の姿も、カギを受け取るときのモジモジした姿も、すべてが僕をドキドキさせた。番台の仕事は好きじゃないけど、あの子に会えるから嬉しい。僕の大好きな時間。

「おばちゃん。よくウチの風呂屋に来てた女の子おったでしょ? 最近、見かけへんけど、体調でも壊したんかな?」
 ここひと月ほど、あの子の姿を見ていない。あの子のことばかり気になって、仕事も手につかない。我慢できなくなった僕は、思い切って仲のいいおばちゃんに聞いてみた。
「しおりちゃんやろ? あの子のとこ、お父ちゃんがえらい出世しはって、一ヵ月前くらいに東京に引っ越して行きやったんよ」
 引っ越し? 東京? なんであの子が引っ越さなあかんの? ここでしかあの子に会われへんのに……。なんでここからもっともっと遠いところに連れて行かれてしもたん? 出世ってなに? 父親ってなに?
 いつも通り番台に座っているけれど、心はここにはない。ずっとずっと遠くを見ている。気づけば涙が出ていた。もう、あの子に会えない。ほっぺたの上を流れる涙をグイッと拭った瞬間、あることを思いついた。
 あの子がいつも使っていたロッカーの番号は六番。番台に座りながら、六番のロッカーに目をやるのが大好きだった。あの子にお願いされて、カギのゴムを直してあげたときも、六番の札がついていた。
 六番のロッカーを永久欠番にしてやる。
 いつかあの子がこの町に帰ってくるかも知れない。だから、六番のロッカーは誰にも使わせない。僕があの子の場所を守ってやる。
 番台から女湯の脱衣所へ降りた。裸のおばちゃんやおねえちゃんたちの間を抜け、六番のロッカーを目指した。涙を流しているからか、物珍しげに見られた。だけど、そんなことは気にならなかった。
 六番のロッカーの前に立つ。カギに手をやる。ふと考えた。あの子はいつもここに立っていた。僕は今、あの子と同じ場所に立っている。ここからは僕がどう見えるんだろう。あの子から見た僕はどんなだったろう。カギに手をやったまま、番台を振り返った。もちろん番台には誰もいない。でも、これがあの子の視線。それを感じられただけで、すごく幸せだった。
 六番を使用中にするため、カギを抜こうと手に力を込めたとき、ふと、中を覗いてみたくなった。あの子の使っていたロッカー。チラッと覗くくらい、あの子だって許してくれるに違いない。
 そっとロッカーを開け、中を覗いてみた。するとそこには、一枚の紙切れが。取り出してみると、それは手紙だった。
 『しおりです』と書き始められたその手紙には、僕への気持ちが綴られていた。胸が熱くなって、また、涙が出た。手紙の締めくくりは、『新人の番台くんへ』。
僕は手紙を優しく折りたたみ、ポケットにしまった。閉じたロッカーのカギを引き抜き、使用中にした。カギは僕が持っておこう。あの子が帰ってくるまで。六番は永久欠番やからね。