時がつながる

ほんとにこんなサービスがあったんだ。知らなかったな、今まで。
藤崎琴美は、店の外観を眺めた。少し緊張しながら、自動ドアをくぐる。
「いらっしゃいませ。お好きなお席にどうぞ。お好みの数字をプッシュしていただきますと、お電話がつながるシステムとなっておりますので」
店員の丁寧な声に促されるまま奥へと進む。パーテションで仕切られた小さなスペースが並んでいる。どうやら他にお客さんはいないようだ。そのうちの一つを選び、椅子に腰を下ろした。琴美は目の前の液晶に並んだ数字を眺めながら、なぞるようにそれをプッシュした。

「元気?」
話すことはいっぱいあったはずなのに、いざ受話器を握ると、なかなか言葉が出てこない。電話口の向こう、突然の電話に戸惑った声色の彼女。「元気ですけど……」という言葉だけがポツリと返ってきた。
「最近、嫌なこと、ない?」
少しの沈黙。そりゃそうだよ。いきなりこんな電話をかけられて、不思議に思わないほうがおかしいよね。私も同じだったから。
ギクシャクした会話を数回続けると、ようやく会話に慣れたのか、彼女の声が落ち着き始めた。
「あなたはね、これからちょっと面倒クサイ男に捕まっちゃうかも知れないのよね。ほら、あなたって、ちょっとダメな男に惚れちゃうタイプでしょ? たとえば、ミュージシャンを目指してるとか、そういった男がタイプじゃない」
受話器から彼女の照れ笑いがこぼれた。「ミュージシャン? そこまではさすがに……」とは答えたものの、そういう男って、出会った頃は魅力的に感じるものだからね、という琴美の言葉に、「ありえるかも……」と彼女の声が苦笑いした。
「あとね、お父さんもお母さんも体が強くないでしょ? だから、もしかしたら、あなただけ残して、死んじゃうことになるかも知れない。それでも強くやっていけそう?」
彼女は、「まさか?」と、他人事のように答えた。
「まさかって思うかも知れないけど、親はいつか死んじゃうでしょ? そんなときのことを考えて、普段からしっかりしておかなきゃ。そんな日が、ある日突然来ないとも限らないわけだし」
つい言葉に力が入る。彼女にはどうしても伝えておきたかった。両親が死んだ後、どれほど寂しくて辛い日々が始まるのかを。ひとりっ子の彼女が、どれだけ孤独な思いを抱くのかを。心の準備が少しでもできていれば、そんな辛さも、少しは和らぐんじゃないかって思ったから。
案の定、今の彼女には響かない。「それはそのとき考えます」と冷静な返事。バカだなぁ。今からちゃんと考えておいて欲しいのに。
「ピアノはちゃんと弾き続けなさいね。将来、きっと役に立つから。諦めずに続けてれば、きっと評価される日が来るからね」
彼女は、「はい」とだけ答えた。
世の中って、どうしてこうも不公平なんだろうな。平坦な道を自分のペースでまっすぐ走れる人もいれば、生まれながらにして、障害物競走を課せられる人もいる。私も出たかったなぁ。まっすぐ走るレースに。
「まぁ、あなたの身にはこれから、いろいろと大変なことがあるだろうけど、めげずに頑張りなさいね。お互い、どんな風に変わっていくのか楽しみね。きっと、あなたなら幸せを掴めるよ!」
もっとマシなことを言いに来たつもりだったのに。なんかオバサンくさい締めくくり。そんな不器用な自分が愛くるしくなった。「琴美ちゃんの幸せを祈ってるわ」とだけ言い残し、会話を終えた。
そっと受話器を置く。

椅子から腰を上げ、受付へと向かう。西日が差し込む店内。夕飯の食材、冷蔵庫の中にあったかな。琴美は記憶を辿った。昨日、買い物に出かけたばかりなのに、思い出せない。彼にお願いして買ってきてもらおうか。あっ、でも今日は、スタジオでレコーディングだって言ってたっけ。
「ご利用ありがとうございました」
支払いを済ませ、店員に軽く会釈する。
「ちなみに、当サ―ビスのことは、どのようなきっかけで知られましたか?」
店員が興味深そうに尋ねた。
財布のジッパーを閉じ、清々しい笑顔を浮かべてみる。ありふれた幸せも悪くないかなと感じながら。
「十年後の私からの電話で」