生命保険

「本日、午後四時過ぎ。M町の繁華街において、乗用車が暴走する事故がありました。現在のところ、死傷者は十五名。救急隊が現場に駆けつけたところ、歩道に乗り上げた車が、コンビニエンスストアに突っ込んだまま停車。歩道に乗り上げた際、歩行者をはねたとみられています。目撃者の証言によると、歩行者が横断中、信号待ちしていた車が急発進。勢いを緩めることなく、歩行者をはね、歩道に乗り上げたあと、コンビニエンスストアの入り口に衝突して停車した模様。なお、運転していた男性は死亡。運転手の身元確認を急ぐとともに、現場では現在も、警察が事故当時の状況を調べています。本日、午後四時過ぎ。M町の繁華街において……」

高級そうな和菓子がテーブルに置かれた。こうして深々とソファに腰を沈め、交渉をするのも何度目だろうと男は思った。なかなか苦労した契約だった。首の骨を小さく鳴らすと、男はテーブルの和菓子に手を伸ばした。
「いやぁ、まさかあんな人混みに車が突っ込むなんて、信じられない事故が起こったものですよねぇ……」
男は鎮痛な表情を浮かべた。
「まったくですよ……。あの辺りは、私の取引先も多く、何度も通っている場所ですからね。昨日も昼前頃、あの辺りを歩いておったんですわ。それを思うと、恐ろしくなりますよ……」
ニットのセーターに身を包み、白いアゴ髭を蓄えた紳士。裕福さを全身から漂わせた紳士が、心配そうに答えた。
「事故の原因も分かっておらんようですな。あんな事故に巻き込まれでもしたら、たまったもんじゃないですよ」
「世の中、何が起こるか分からないですからねぇ」男は小刻みに首を振った。
「あのような事故は誰の身に起こってもおかしくない。そんな万が一の事態に備えて、我が社では生命保険のプラン、ダブルライフプランをご用意しております。澤田様は、ご加入を渋っておられますが、私どもは、澤田様の身に万が一のことが起こってからでは遅いと……。そう考え、常日頃より、ダブルライフプランをお勧めいたしております」
男はゆっくりと紳士の表情を伺った。
「確かに……。あんな事故に遭ってからでは、遅すぎるからなあ。しかし、ダブルライフプランは、かなり値が張るから。悩んでおるんですわ……」
「澤田様にもしものことがあった場合、残されたご家族の方々は、途方に暮れてしまいます。娘さんも去年、カナダにご留学されたばかり。今、澤田様の身に何かあったとしたら……。娘さんの将来のことを考えると、やはり手厚い備えというものは必要になるかと」
「そうですなあ。確かにおっしゃる通り」
紳士の言葉に男は力強く頷いた。
「昨日の事故に巻き込まれ亡くなられた方の中には、澤田様と近い年齢の男性もいたようですよ。その方も、娘さんが一人いらっしゃったようで。残された遺族のことを考えると、胸が痛みます……」
「なるほど……」
数秒の沈黙の後、男は鞄から一冊のパンフレットを取り出し、テーブルの上に広げた。
「澤田様、我が社がご用意しておりますのは、何も死亡保障だけではございません。澤田様がガンで入院された際の保障はもちろんのこと、娘さまが留学先で万が一のアクシデントに見舞われた場合の保障につきましても、安心のプランをご用意いたしております。そちらがこの、トリプルライフプランというものでして……」
紳士はそのパンフレットに目を落とした。
「そうだな……。この際、備えられるものは全て、備えておくことにするか……」
男は賛同するように、「ありがとうございます」と声に力を込めた。
「それでは早速、プランの内容をご確認いただきまして、ご契約へと参りましょう」

「現場の状況はどうだ?」
年配の警察官が、署に戻ってきた若手に声をかけた。
「混乱は落ち着きましたけど、まだ現場検証は続いてます」
「あれだけ車がグシャグシャになってりゃ、なかなか終わらんだろうな」
「あっ。そうだ。さっき現場検証に立ち会っていたとき、事故車の陰でこんなものを見つけたんですよ」
年配の警察官は、若手から一枚の紙切れを受け取った。
「名刺か? S生命保険株式会社?」
興味を示すことなく、それを若手に突き返した。
「ただの落し物だろう」