ラスト・イルミネーション

贅沢に絵の具のインクを使いきったみたいに、さまざまな色の電球が、僕らの歩く道を照らしている。遠くのほうには、煌々と輝く、お城。水面に映る電球の灯りが、風の作る振動に、ゆらゆらと揺れている。
恋人の余命は、あと数分。
今夜の特別なイルミネーションは、僕と恋人のためだけに用意されたものだ。そう、余命を告げる、イルミネーション。
「寒いね」
「冬だからね」
「私にはもう、春は来ないね」
恋人のその言葉には、不思議と寂しさの抑揚が含まれておらず、それが余計に僕の胸の中に空洞を作り、思わず次の言葉を見失ってしまった。
どこからか、薄っすらとオルゴールの音色が聴こえる。Jポップの曲。オルゴールで奏でられると、どんな曲でも、どこか寂しげに聴こえるのはなぜだろうか。曲に合わせて鼻歌を口ずさんでみたけれど、雰囲気に合わなかったから、やめた。
「付き合って何年になるかな?」
「五年だね」
「早いね」
「そうだね」
「楽しかった?」
「楽しかったよ」
「私も」
スーッと涙が出た。さらさらした涙だ。
大切な人というものは、実際に居なくなってしまうことよりも、居なくなってしまうことを考えること、居なくなってしまったことを考えることのほうが、何倍も悲しいような気がする。居なくなってしまうことには、いつか慣れてしまうのかもしれないけれど、それを思うことには、死ぬまで慣れはしないだろうと思う。
恋人と手をつなぎながら、電球が織り成すアーチ状の橋の上を歩く。ゆっくりと、ゆっくりと。左右に広がる池。昼間はきっと、優雅に蓮の葉が顔を覗かせているんだろう。でも、今は、夜。真っ黒な墨汁の上に、イルミネーションの光が反射して映っているだけ。
二人、黙ったまま、アーチ状の橋を渡り切ると、そこには、電球で造られた動物たちがたくさん。鹿や兎、犬や猫。こんなにも明るい光を放っているのに、どこか悲しげに見えるのは、動物たちが微動だにしないからか、それとも、動物たちが笑いかけているように見えるからか。
僕たちは、人と人だから、いつかはお別れの時間がやってくる。今日、当たり前のように隣に居る人も、なんだよこいつと、憎まれ口を叩きたくなるような人も、一緒に居るということは、いつかお別れの時間を経験するということになる。しゃぼん玉は、浮かんでは消えて行くし、雨上がりの虹も、子どもたちの歓喜の声をヨソに、消えて行く。僕たちは、人と人だから、それは避けて通れないんだ。
動物たちの森を抜け、僕たちは、両端に幾色もの電球が一直線に並んだ、真っ直ぐな道に出た。
「ここが最後だね」
「そうみたいだね」
余命を告げられた人は、みんな最後、この道に立つそうだ。そうして、ここに立っていると、この道の先、イルミネーションの終着から順に、一つひとつと電球が消えて行く。僕たちを目指して、一つひとつ、電球が消えて行くんだ。
「手をつないだままでいてね」
恋人の最後のお願いに、僕はつないだ手に力を込めることで、無言の意思を伝えた。
先のほうの電球が、徐々に消えて来るのが見える。生きてきて味わったことのない、巨大な寂しさが、胸を締め付けた。
「やっぱり、嫌だな……」
久しぶりに僕は、恋人に甘えた声を出してみた。もしかすると、すがるような声だったかも知れない。
「仕方ないよ。ごめんね」
電球が一つひとつ消えて行く。ゆったりした調子で消えているのか、駆け足で消えているのか。残りの電球の数が、恋人の心臓の、残された鼓動の数。ああ、永遠にこのイルミネーションが灯っていればいいのに。そうすれば、どれだけ幸せでいられるだろうか。
イルミネーションの光は、あとわずか。目の前にはもう、弱々しい灯りしか見えない。お前たち、もっと力強く灯れ。握った手に、さらに力を込めた。
ああ、最後の電球が消える。
「さようなら」
僕はその事実を信じたくなくて、思いっきり目を閉じた。眼球がつぶれてしまうんじゃないかと思うくらいに強く。
つないでいた手の中から、恋人の存在が消えた。爪が手のひらの肉に食い込む。冬のしんみりとした風が、僕のこめかみ辺りを優しく殴った。目を開けたくない。目を開けるもんか。僕の恋人は、どこへ行ってしまったんだ。誰が連れ去ってしまったんだ。僕の恋人を返してくれ。僕はもう、目を開けたりなんかしない。

どれくらいの時間、目を閉じて突っ立っていただろうか。固く閉じた瞳に映っているのは、瞼の裏、真っ暗な闇。このまま目を閉じていれば、何も見なくて済むんだ。ずっと、闇のままだ。
もう、イルミネーションはすっかり消えてしまっただろう。たとえ目を開けたとしても、どうせ目に映るのは、光の欠片さえない、真っ暗な闇だ。
ふと、手に感覚を覚えた。それは、僕の恋人の癖。僕の指の付け根を、愛らしそうに握る癖。それを感じた僕は、前を向いて生きようと心に誓った。力強く生きて行こうと。
目を開けて、真っ暗な闇の中を歩き出してやろうと心に決め、僕はゆっくりと目を開いた。するとどうだろうか、視界には見渡す限り一面の星空が広がっていた。眩しいばかりの星空。大小さまざまな星たちの群れ。
「生きて行こう」
その星たちの輝きは、イルミネーションの何倍も明るい光を放っていた。まるで、未来を照らすようにして。