理不尽な負担

まだ六月だというのに、もう汗が止まらない。アキバまで出るのも一苦労だ。
時計に目をやると、ライブの開始時刻まで、あと十五分しかない。
「マズイなぁ……」
残業を命じてきやがった上司の憎たらしい顔を思い浮かべながら、歩く速度を速めた。
「はあはあ……」
急ぎ足は太った人間には辛い。
今日は推しているアイドルの握手会付きライブ。息を切らしながら、平成電気を目指す。
「あの角を曲がったら、平電だ」
ひとり言を呟きながら、角に差し掛かった時だった。僕の行く手を遮るようにして、一人の男が現れた。漆黒のスーツに身を包んだ、怪しい男は、僕に声をかけてきた。
「ちょっと、いいかな?」

来月の大会こそ、絶対に優勝したい。
去年のように、競技場に入った瞬間に体力が尽き果てて、足が言うことを聞かなくなるなんて情けないことはできない。
「よしっ!」
自分の気持ちを奮い立たせるように、グッと足に力を込めた。
「ハアハア……」
大会で走る姿を想像しながら、私のことを支えてくれた仲間たちの姿を思い浮かべながら、そして、純白のゴールテープを、誰よりも先に切ることを誓いながら、走るスピードをさらに速めた。
その時だった。私の行く手を阻むようにして、一台の車が角から飛び出してきた。
車の中から出てきたのは、夜の闇に溶けてしまいそうなほど黒いスーツに身に包んだ怪しい男。
男は私の前までやってきて、「ちょっと、いいいかな?」と声をかけてきた。
身に危険を感じて黙っている私に向かって、さらに男は言った。
「君、マラソンをやってるんだよね?」

見渡す限り、どこまでも夜景が続く。
「近ごろのラブホテルは、こんなにも高級感があるのね? 普通のホテルよりも、こっちのほうがロマンチックに感じない?」
私の気持ちは、夜景なんかどうでもよかった。ラブホテルだろうと普通のホテルだろうと、どこだって構わなかった。
ただただ、彼に会いたかったから。
遠距離恋愛が始まってから二年が経つ。寂しさを埋める術も見つからないまま、どんどんと月日ばかりが過ぎて行く。
彼とは三ヶ月に一度のペースでしか会えない。だからこそ、彼と会えたときの私の心は、野蛮な動物のように、彼を求めてしまう。
そして、きっと、彼も同じなんだろう。
こうして私と会えた夜には、素敵なくらい野蛮に私を求めてくれるから。
彼の唇が、私の唇を覆い尽くした。
キスを知らない人がこんな姿を見たら、私が食べられてしまうんじゃないかと心配されるだろう。それほどに獰猛な彼のキス。
彼の勢いに押し倒さ、私はベッドに沈んで行った。
着ているものの全ては瞬く間に脱がされ、少し汗ばんだ肌が薄暗い照明に照らされている。彼も右手だけを使って、器用に自分の服を剥いで行く。
「はぁはぁ……」
二人の息遣いで室内の酸素がどんどん薄くなって行く。
そんなことはお構いなしで、彼は私の中に入ってきた。
気持ちの距離を縮め合うセックスは、想像を超える快感。彼の激しい動きに合わせて、どんどんと呼吸は荒くなる。
「ハァハァ……」
体位を変えるように促され、彼の上にまたがった瞬間だった。
部屋のドアが勢い良く開かれた。
漆黒のスーツに身を包んだ男が、全裸の私たちの前に迫ってきた。
「ちょっと、いいいかな?」
シーツを掴んで、自分の裸体を覆った。
「君たち、改正された新しい税制のことは知ってるか?」
あまりの恐怖に言葉の意味が理解できない。
男は冷静に先を続けた。
「呼吸税のこと」
呼吸税? 何それ?
「日本も財源が乏しくなっちまってねえ。他人よりも多くの酸素を吸っている人たちに課税することに決まったんだ」
面倒臭そうに男はそう言うと、私たちに向かって、一枚の紙きれを差し出した。
「はい。じゃあ、これ、納付書ね」