出待ち

「菊池の奴、見なかった?」
「そういや、まだ見てないなぁ」
初夏。走り始めたばかりの暑さが、肌の表面にじんわりと汗を滲ませる。
卒業してから一度も催されたことのなかった高校の同窓会が、老舗温泉地の一角で開かれた。高校を卒業して、もう二十年が経つ。
「仕事は順調なのか?」
斜め向かいに座る百瀬が声をかけてきた。
「この不景気じゃ、踏ん張ってみても右肩下がりになる一方だよ」
懐かしさから酒も進み、会がスタートしてからまだ一時間も経っていないというのに、既にほろ酔い気分だ。
「まさかお前がIT企業の社長になるとはなあ! サッカーボールばっかり追いかけて、テレビゲームさえしなかった奴が、デジタルの世界で活躍できるなんて……」
「ボールもパソコンも一緒だよ。友達になっちまえば、翼も広がるってことさ」
百瀬のお猪口に勢いよく酒を注いだ。

菊池は俺の高校時代の親友。スポーツ一筋だった俺とは対照的に、軽音楽部で派手なロックをかき鳴らしていた菊池は、学校中の女子からも人気が高く、学内ライブでギターを弾けば、帰り道には出待ちの女の子が殺到するほどの人気っぷりだった。
「来ないわけないよなぁ、菊池」
「イベントごとには必ず顔を出す奴で有名だったもんなぁ。またとないこんな機会に、来ないなんて、ありえないだろ?」
文化祭や体育祭、学校のイベントはもちろん、その後に開催される打ち上げや飲み会なんかには、欠かさず顔を出していた菊池のことだから、今日も来ないはずがない。
久しぶりに会って、菊池と当時を懐かしむのが、今日の一番の楽しみなんだ。
「そういえば、菊池って、高校卒業した後、何やってたの?」
酒のせいで顔を赤らめた木村が、隣から俺に声をかけてきた。
「芸能界だよ」
「芸能界?」
「あんな人気者を、芸能界が放っておくわけないだろ。すぐにタレント事務所からスカウトが来てたよ」
芸能界に入ってからしばらくは連絡が取れていたけれど、その後、菊池の活躍も、菊池からの連絡も途絶えてしまった。
「あれ? あんな子いたっけ?」
「どの子?」
老朽化がいたるところで目につく宴会場の奥まった隅の席。そこに俯いて座っている女性が気になって、百瀬に声をかけた。
見たこともなければ、面影さえ思い当たらない女性。同窓会の場にも関わらず、他人の目を避けるように俯いて座る奇妙な女性。
そこで俺は気づいた。あの女性は、菊池だ。
芸能界で落ち目になって、その後、何らかの事情で性転換をしたに違いない。
菊池が来ているか確認しようと、宴会場にいる人間の数を数えてみたら、当時のクラスの生徒数とピッタリ一致した。だから間違いない。あの女性は、菊池だ。
どういう事情があったかは知らないが、性別が変わってしまっているようじゃ、当時の友人たちとも顔を合わせにくいだろう。終始、顔を伏せているのも納得できる。
「あの野郎、女になっちまったのか……」
親友を懐かしむ気持ちで菊池に目をやると、長く垂れた黒い前髪の隙間から覗く目も、じっとこっちを見ていた。

奇妙な話はここからだった。
周りの友人たちに聞いてみたところ、その女性を見たという奴は一人もいなかった。
俺の見た女性が座っていた場所には、誰一人座っておらず、帰り間際に幹事に聞いたところ、菊池からは欠席の一報があったそうだ。
酒に酔い過ぎたわけでもない。見間違いでも勘違いでもない。俺はあの女性と目まで合わせているのに。
一体、あの女性は、誰だったんだ……。

怪異な雰囲気に包まれたまま、バス停までの道のりを一人歩く。最終的に、疲れた会になった。寂れた温泉地の湿った空気と、生温かい夜風が、撫でるように背中を走った。
「あの……?」
急に耳に飛び込んできた声に、滑稽なくらい後ずさってしまった。
声の方に目をやると、そこには宴会場の隅にいた、あの女性が立っていた。
ああ、完全に幽霊だ。肌はありえないほど白く、なにより足が透けている。幽霊だ……。
「あなたのことが好きで、ここで出待ちしてましたの」