手切れ金

「君みたいな貧しい男と付き合ってても、彼女は幸せになんかならないからな……」
見るからに高級そうなスーツに身を包んだ男は、吐き捨てるように僕に言った。
「どうゆうことですか?」
「あんた、相当鈍いなぁ……」
男は面倒臭そうに頭を掻きながら、アイスコーヒーを一気に飲み干した。
「可南子さんと別れてくれってことだよ!手切れ金は、三千万。ここに置いて行くから、もう二度と、可南子さんには会わないでくれ!わかったな!」
「可南子はそれを望んでるんですか……?」
初対面のくせに横柄な態度を見せる男に圧倒されながらも、当然の疑問をぶつけた。
「お前、可南子さんに、ブランドのバッグとかジュエリーとか、彼女が喜ぶもの、ひとつでも買ってあげたことあるのか?」
「えっ……?」
「金のない奴には、力もないんだよ!」
片方の口元を吊り上げながら、伝票を鷲づかみにすると、男は勢い良く立ち上がった。そそくさと精算を済ませ、店から姿を消した。

数日後、再びあの男を目にしたのは、新聞の記事の中だった。可南子との結婚が大々的に報じられた記事だ。
どう考えても政治的な結婚の臭いがした。
可南子の父親は、大手飲食チェーンを束ねるとあるホールディングスの会長だ。
そして、記事によれば、あの男は、大手食品輸入メーカーの御曹司らしい。
僕には完全に無関係の世界だ。
くたびれたスーツの皺を伸ばしながら、地下鉄のホームに設置されたゴミ箱に向かって、新聞を放り投げた。
「僕にはこの地下鉄の、鼻を突くような悪臭が似合ってるよ……」
自暴自棄なセリフを、黄ばんだ空気の中に置き去りにした。

「先日は申し訳なかった!」
男が僕の前に現れたのは、結婚が報道されてから二週間近く経った頃だった。
「君にもうひとつだけ、お願いがあるんだ」
「なんですか……?僕にはもう、渡せるものなんか、なにひとつないですよ……」
不慣れな場所。高級とされるレストラン。住む階層が違うと、これほどまでに景色が違うものだろうか。
店内で食事を楽しんでいる人たちの表情や笑い声。同じ人間のはずなのに、途方もない距離を感じてしまうのは、なぜだろう。
「こんな場所に呼び出すってことは、よっぽどの事情がありそうですね……」
興味のない素振りを装いながら尋ねてみた。
「君の夢が欲しくてねぇ」
「夢?」
「そうなんだ。可南子の奴、どうやら夢がある男にしか心を開かないみたいで、困ってるんだよ」
男は表情を曇らせながら頭を掻いた。
「俺には夢なんてもん、ないからさぁ。なんだって、金で手に入るし。夢なんて所詮、手に入れることのできない弱い人間たちが、心を慰めるために作りだしたもんだろ?」
「それは違うと思うけど……」小声で呟いた。
「でも、夢なんて、他人に渡せないでしょ?僕の頭の中や心の中にあることだし」
「君みたいなもんが、そんな余計な心配しなくたっていいんだよ。夢を移植できる装置はもう開発してある。さらには、その夢を叶える機能まで搭載してる。俺に移植されたとしても、叶うのは君の夢だ。だから、それを君への見返りとしたい。どうだろうか?」
なんのことだかサッパリわからないけれど、僕の夢が叶うのなら悪くない。
「わかりました」
翌日、その手術は施された。

柔らかい唇が何度も頬に触れた。
「タケル!会いたかったよ!」
可南子の嵐のようなキスを浴びながら、僕は彼女の髪を撫でた。
「こうしてタケルとまた会えるなんて、夢にも思わなかった!幸せすぎるよ……」
笑っていたかと思うと、次は、泣き出した。
これほどまでに幸せを感じてもらえる僕は、幸せ者だ。
「でも、なんで私、あの連中から解放されたんだろ?それが不思議なんだ……」
僕は得意げな表情で答えた。
「僕の夢が叶ったからかも知れないね」
目を丸くした彼女が聞き返してきた。
「え?タケルの夢って、どんな夢?」
「可南子と、ずっと一緒にいたい」
夢が覚めるほどの幸せな嵐が再び降ってきた。