闇夜のサンプリング

人もまばらな最終電車を降り、人の気配もしない夜道を、ひとり歩いて家へと帰る。
――なんだ、あの人影?――
住宅街には明らかに場違いな黒服に身を包んだ人影が、三叉路の角にぼうっと浮かんだ。
「サンプリングしてますんで、よろしければひとつどうですか?」
人影の前を通過しようとした瞬間、覇気のないボソボソとした声で呼び止められた。
――こんな夜中にサンプリングなんて、怪しいにもほどがあるよ――
男の声を無視して行き過ぎようとしたとき、肩をグイッと掴まれた。
「おたくも消してやりたい人間の一人や二人は、いらっしゃるでしょう?お試しにどうですか?これ」
男は高圧的な態度でそう言うと、小さな紙包みを胸元に押しつけてきた。
「いきなり、なんですか?」
あまりの強引さに面食らってしまい、上擦った声が漏れ出た。
「なぁに、不安がることはありませんよ。この紙包みを手渡すだけでいい。それだけで、あなたの消したい人は、木っ端微塵に消えてしまうだけですから」
男の一方的な迫力に気圧されて、言われるがまま、紙包みを受け取ってしまった。

俺には今、どうしても別れたい女性がいる。交際も三年目を迎え、結婚を迫られてはいるが、実は、他に付き合っている女がいる。本心ではそいつと一緒になることを望んでいるため、できれば、今の恋人とは縁を切りたい。
――消してやりたい人間?――
いるじゃないか、俺には。
得体の知れぬ後押しに突き動かされるように、早速恋人に電話をかけ、深夜にも関わらず、恋人の家を訪れることにした。
「珍しいじゃない?こんな時間に」
「そうだね…。急に会いたくなったから…」
予想外の訪問、しかもこんな深い時間に来られたものだから、そこかしこに生活感が滲み出ている。まるで今の今まで誰かと空間を分かち合っていたかのように散らかっている。
俺は後ろ手に持っていた紙包みを、恋人に差し出した。
「これ、君にプレゼント。ビックリさせたいから、俺が帰ってから開けてみてよ」
そういって、テーブルの上に置いた。
「まぁ、珍しい!」
恋人はそういうと、嬉々とした表情を浮かべ、
「実は、私もプレゼントがあるの!」
そう言いながら、ソファの上に畳んで置いてあるマフラーを優しく取り上げた。
「あなたに、マフラーを編んだんだ!もらってくれる?」
恋人は手にしたマフラーを嬉しそうに俺の首に巻きつけた。
「ピッタリ!」手を叩きながら喜ぶ恋人。
なんだかその無邪気な様子を見ていると、自分の企んでいることが恐ろしく邪悪なことのように感じられ、罪悪感に苛まれた俺はテーブルの紙包みを手に取ると、「やっぱり俺からのプレゼント、持って帰るよ…」申し訳ない気持ちを声に含めて呟いた。
「え?どうして…?」
「ちょっと、事情があってね…。ごめん!」
俺は紙包みを抱えながら、玄関を出た。
――何が消したい人間だよ。別れるなら別れるで、ちゃんと想いを伝えてあげないと――
胸に秘めた恋人への真実とは裏腹に、少し清々しい気持ちで、マンションを後にした。

大通りでタクシーを降り、さらに闇がその濃さを増した静寂の住宅街を、家へと向かう。
――あれ?まだサンプリングの奴がいる――
「どうです?消したい人には、例のお試し品、渡しましたか?」
男は闇の中でも狡猾さが伝わってくるほどの、歪な笑みを口元に浮かべた。
「いや、渡さなかったよ…」無愛想に答えた。
「あれ?ウチの別のモンから、そのサンプリング、受け取られたんですか?」
「え?」
「今、ウチの社では、紙包み式の爆発装置と、それをサンプリングで配ってるんですよ」
男は俺の首元を指差した。
「え?どれだ?」
「それです。おたくが首に巻いてるそのマフラーですよ」
「これも同じ類のものなのか?」
「ええ。一度巻いたら二度と外れず、どんどんと首を絞めつけていく商品です」
俺は慌ててマフラーを解こうと、首とマフラーの間に指を入れようと試みた。
「やられましたね。もう、手遅れですよ」
男はもう一度、ニヤリとほくそ笑んだ。