盗撮された写真

その時、目の前でフラッシュがたかれた。
少し酔ったサラリーマン風の中年男性は、カズキとアヤの座る座席の前に立ち、吊革に捕まるとすぐにスマートフォンを取り出し、まるで、うっかり誤動作させてしまったかのように装い、写真を撮影したのだ。
あまりにも咄嗟の出来事に、二人はしばし呆然としたが、明らかな不審行為にカズキは「ちょ、ちょっと、何撮ってんだよ、おっちゃん!」と、座席から立ち上がり問い詰めた。
ちょうどその時、電車はT駅に停車。その隙を見計らって、男は混み合う車内を掻き分け、開いたドアから電車の外へと飛び出した。
「先に帰ってて!」アヤに言い残し、カズキは男を追うために、ホームへと飛び出した。
駅を出て、しばらくの間、カズキは男を追い続けたが、みるみるうちにその背中は、夜の闇の中に吸い込まれ、見えなくなった。

「で、結局、取り逃がしちゃったんだ……」
「いいよ、気にしないで!」
家に帰って、一時間ほど前の出来事を話していると、予定外の僅かな沈黙を埋めるかのように、インターホンが鳴った。
「こんな風体の男性と会いませんでしたか?今日、どこかで」
深夜の訪問者は見るからに怪しい雰囲気を醸していた。応対するカズキに、胸ポケットから一枚の写真を取り出すと、人差し指と中指に挟んだそれを、カズキの前に差し出した。
写真の中には、ついさっき、電車内で自分たちのことを盗撮したあの男が写っていた。
「その男なら、確かに今日見ましたよ。見たっていうか、会ったというか、迷惑を被ったというか……」
「そいつに何かされましたか?」
「何って……。電車内で盗撮されたんです。一時間くらい前、K鉄に乗ってるとき」
「何駅あたりで?」
不審な男は急に慌てふためいた。
「確か、T駅の手前くらいだったかな……」
それを聞くと男は、何かよからぬことでも思い当たったのか、いきなり表情を一変させた。これは致命的だ、証拠を握られた……と、それまでの冷静な態度からは想像もできないほどに怯えた様子でひとり言を漏らすと、小さく一礼し、足早に走り去っていった。
「ん?何の証拠だ……?」

ここはある地下の一室。
封筒に入れられた数枚の写真を手に、男が重々しい扉を開き入ってきた。
「島田さん、やっと証拠を押さえることができましたよ。これで奴らの組織を壊滅に追い込むことができる。長年の我々の苦労も、これで報われることになりますね」
「よくやったな。しかし、どうやって?」
整えられた豊かな黒い口ひげから貫禄を漂わせる島田は、机の上に置いた両手の指を三角に組みながら、問いかけた。
「電車の中から証拠となる現場の写真を撮ったんですよ。これで」
コートのポケットからスマートフォンを取り出すと、男は机の上にコトリと寝かせた。
「これ、一見するとスマートフォンのように見えるんですが、実は超高性能な望遠カメラになってまして、それで電車内から、奴らの行為、例の物品受け渡し現場を狙ったというわけです」
「なるほど、よく考えたな。しかし、そんなにうまくいくもんかねえ」
「まあ、やってることは立派な盗撮なんで、目の前に座ってた若いカップルの気に触れて、追いかけ回されたんで、逃げるのに骨を折りましたけどねえ。ちょっと大胆過ぎましたかね」
男は小首を傾げ苦笑いしながら、封筒の中の数枚の写真を、差し出した。
「シャッターを押した後、わずか数秒の間に、近接から遥か遠方まで、高速で順々に撮影されていくんです。だから最初の方はカップルの写真ですが、望遠モードに入った最後の写真で、完璧に奴らの証拠を押さえています」
一枚一枚の写真をじっくりと見つめる島田。
「しかしこれは、思った以上の手柄だな」
「でしょう!」
男は得意げに笑った。
「元気そうで、何よりだ」
「は?」
島田は強張った表情を崩し、穏やかな温かみを、目尻の皺に浮かべた。
「この極秘任務に就いてからは、随分と長い間、会っていないんだよ」
「え?」
写真から目を外し、島田は少し遠くを見るような目で、小さく呟いた。
「立派に成長したなあ、アヤ」