リセット

君にこんな話をしても信じてもらえないかも知れないね。それくらいに嘘みたいな話だからね。でも、いいんだ。君にだけは、聞いて欲しいんだ。

ある一月も半ばに差し掛かった頃、僕は右手にロープ、左手に折りたたみ式の椅子を持って、自分の部屋に佇んでいたんだ。なんでかって?もちろん、死ぬためさ。
人間っていうのはいつだって、より良くなることを望むよね?現状よりも悪くなっていくことを、黙って見過ごせるような生き物じゃないはず。何かが望んだように変わるんじゃないかって期待しながら、新たな気持ちで迎える一月。そんな一月も半ばまで差し掛かった頃には、薄々気づいてしまうんだ、何も変わりはしないってことに。期待も希望も何もかも失ってしまっては、もう生きる気力さえも失ってしまう。それで僕は、ロープと折りたたみ式の椅子を、気づけば持っていたんだ。
自分の部屋の中には残念ながら、吊るされた僕の体重を支えきれるほどの梁のようなものはないし、だから僕は、階段の手すりにロープをかけて、そこで命を絶ってやろうと思ったんだ。意を決した僕は、ロープが作る輪の中から漂う死の芳香に首を潜り込ませ、そのまま身体を階段の下へと滑り落とした。そして、僕は、死んだ。

でも、実は死んでなかったんだ。いや、死んだんだけど、死んでなかった。なぜだか、リセットされたみたいに、ある日の自分からスタートしていたからさ。信じられないだろ?意を決して死んだつもりが、自分の予想もしない、ある日の自分から命が再開される気分。
僕は死にたくないと懇願して生きながらえたわけでもないし、もう一度生きたいと願って戻ってきたわけでもない。だから、生きてることには、やっぱり嫌気が差してしまう。
そう思って僕は、何度も何度も自らの命を絶ったんだ。でもね、だめだった。その都度、やっぱりリセットされて、あの日の自分からスタートしてしまう。そう、昭和五十年六月三日から。

何度もリセットを繰り返しているうちに、僕は、昭和五十年六月三日に、何か自分にとって深い意味でもあるんじゃないかって考えたんだ。普通はそう考えるよね?毎回その年のその日から再開されるんだから。
その意味を突き止めたいと考えた僕は、地下鉄に乗って数駅行ったところにある、大きな図書館へと向かったんだ。そう、その日の新聞の記事を見てみれば、何か手がかりが掴めるかも知れないと思ったからね。
人もまばらな図書館のオープンスペースに、昭和五十年六月三日の新聞を持ってきた僕は、社会面に掲載されている記事の見出しを目で追った。すると、いとも簡単に、それは見つかった。

『都内に住む高校生男子が親戚に絞殺されるも、証拠不十分で不起訴に』

絞殺されたと伝えられている高校生の名前は、紛れもなく僕だった。そして、衝撃的だったのは、容疑者として名前が挙がっていたのが、叔父のMだったということ。
小さな頃からMは僕のことを特別気にかけて可愛がってくれていたんだ。面倒見のいいMは、頻繁に家に来てくれて、僕と一緒に遊んでくれた。貧しかった僕の家は両親が共働きだったから、僕は大半の時間をひとりで過ごしていた。僕の家とMの家は、足しげく通うには決して近い距離とはいえない。それなのにMは、何かと僕の住む町にやってきては、僕の寂しさと孤独を紛らわせてくれた。そんなMが、なぜ僕を?
ともかく、この日、僕は殺されたんだ。

僕は図書館を後にすると、Mのところへ行って、なぜ僕を殺したのか問い詰めてやろうと考えたんだ。生きたい生きたいとは望んでいなくとも、やっぱり他人に殺されたという事実を知ってしまうと、気軽には見過ごせないものがある。
僕はMの家に着くと、インターホンを鳴らし、名前を告げた。タイミングよくインターホンの応対にMが出たもんだから、あいつ、僕の名前を聞くや否や、妙な違和感と明らかな狼狽を露にした声を漏らしやがった。
そして僕は、Mの家に入った。
「ねえ、正直に教えてくださいよ。なんであんたは、僕を殺したんだ?」
幽霊でも見るかのような目つきで僕を見るMは、自分の目に映る光景を疑い続けたいといった様子で、とにかく慌てふためいていた。そりゃそうだよね。自分が殺した人間が、こうして目の前にいるんだもんね。
「なぜ、僕を殺した?答えろよ!」
それだけが知りたくてここへ来たんだ。僕はそれを何度も何度も、まるで呪いの呪文を唱えるかのようにMに問い詰めた。するとMは、まるで発狂したみたいに、ジタバタと叫びながら暴れ出した。僕を殺した理由?あいつが狂いながら叫んだことで判明したけど、何のことはない、あいつが二周りくらい年の離れた女の子を、半ば無理矢理にラブホテルに連れ込むところを、僕がたまたま目撃していて、僕の口からそれが漏れ出すのを怖れて、それで殺したらしい。人間の命なんて、結局そんな理由程度で奪われてしまうんだ。まったくバカらしいよね。
Mは発狂しながら僕のところへ向かってくると、狂気と化した形相で、僕の首に手をかけ、殺意丸出しでグイグイと締め付けてきた。あの日もこうやって、僕は、同じような感じで殺されたんだろう。でも、僕は余裕だった。だって、再び僕はリセットされるからね。だから、ここで死ぬってことはない。
そんな余裕を見せつけるためと、身の毛もよだつ恐怖を演出してやるために、僕はMに首を絞められながらも、口元に薄っすらと笑みを浮かべてやったんだ。Mの奴きっと、おぞましい恐怖に怯えていたはずさ。だって、自分が殺意を込めて殺そうとしている目の前の相手が、ニヤニヤと笑ってるなんて、そんな恐ろしいことはないからね。あいつの表情は、情けないくらいに醜く歪んでいたよ。
そんなことをぼんやりと考えながら、僕はまたしても死んでいった。

今、僕は、カバンの中に太いロープを忍ばせ、Mの家へと向かっている。
二度も僕のことを殺した愚劣な人間を、今度は僕が葬ってやろうと思ってね。
僕に対して謝罪の言葉を述べるどころか、またしても僕のことを殺すなんて、そんな奴、生きてる資格がないと思わない?僕はそんな風に思うんだ。
だから今、こうして僕は、カバンに太いロープを忍ばせてMの家へと向かっている。

Mの家に着くと僕は、家の裏口に周って行った。
玄関からMの奴を呼び出したりなんかしたら、またあいつのほうが発狂して面倒なことになってしまう。だから、僕は裏口から家に忍び込むことにしたんだ。Mの家は犬を飼っていて、その犬の首輪をつないでいる紐を室内へと引っ張り込んでいるから、裏口の扉は常に薄く開いているんだ。だから、そこから入ればいい。
Mの家の犬は、いつだって妙なくらいに吠えてるもんだから、僕がそこを通ろうが通るまいが、変わらずに吠えている。こいつが番犬みたいに利口な奴だったら危なかっただろうね。すぐにMが裏口の異変に気づいただろうから。
僕は吠え続ける犬を尻目に、裏口のアルミドアを開くと、Mの家に忍び込んだ。
足音をたてないようにソロリソロリとリビングへ向かった。裏口からリビングに続く廊下はフローリングになっているから、木がミシリと軋む音以外は、足を滑らせて移動さえすれば、基本的には音をたてないで済む。
そうして奥まで進み、リビングを覗き込むと、部屋の真ん中に置いてあるソファの上に、Mが座っているのが見えた。僕に背中を向けたまま、新聞を熱心に読み耽っている。
――今しかない――
僕はMの背中を睨みつけながら突進すると、手にしたロープを勢いよくMの首に巻きつけ、渾身の力を込めて引っ張った。これは殺すための作業なんだ。そんな冷静な殺意が、頭の中を駆け巡った。
苦しみに悶えるMは僕の方を振り返った。目と目が合った。Mの表情は、死の恐怖とは別の恐ろしさを伴った色へと変わり、血管が浮き出るその目を思いっきり見開いた。
徐々にMの抵抗する力やジタバタと足掻く挙動が鈍くなり弱ってきた。と同時に僕はあることに気づき、そして僕は、そのあることを、しっかりと理解した。
僕の身体がどんどんと薄くなってきたんだ。
もう知ってるよ、僕は。どうせ僕はこのまま消えてなくなるんだろ?自分を殺したMに復讐を果たした時点で、僕は消えてなくなってしまって、もう二度とリセットもされず、本当の意味での死がやってくるんだろう。もう、分かってるよ、そんなことくらい。どうせ生きることなんて望んでなかったんだから。もう、分かってるよ。

もうすぐ僕は、完全にこの世から消えてしまう。
僕の話を聞いてくれて、ありがとう。君にだけはこの話を聞いてもらいたかったんだ。
最後に君にだけに伝えたいことがあるんだ。僕がMを殺したかった本当の理由。虫も殺せないような性格の僕が、なぜMを殺したかったのか、その本当の理由。
もちろん、僕の命を殺めたからとか、しかも懲りずに二度も殺めやがったからとか、そんな理由なんかじゃないんだ。もともと僕は死を望んでいたんだから、そんなことじゃ奴を殺したりなんかしないよ。君にだけは本当のことを言うよ。もう僕の身体は消えてしまうから、さっさと言わないとね。
僕がMを殺した本当の理由、それは、あの日僕が目撃したことが理由さ。
Mが年の若い女の子を強引にラブホテルに連れ込んだのを目撃したって言っただろ?
Mが連れてた女の子は、僕の恋人だったんだ。