大掛かりな仕掛け

その時、俺は玄関のドアをかすかに開いて、廊下の様子を伺った。
――なんだ、やっぱり誰もいないじゃないか……――

俺の部屋の隣は、空室になっているはずだ。もう長いこと借り手がついていない。
今日の昼間も誰もいなかったはずなのに、こんな深夜に、急に人が越してくるはずもない。
そんなことを考えていると、またしても、誰もいるはずのない隣の部屋から、男と女のかすかな話し声が聞こえてきた。その声は玄関に続く足音と共に、再び廊下へと出ていった。
――やっぱり誰かいるのか?――
俺は音を立てないよう、スリ足で玄関まで向かうと、再びドアを薄く開いて、廊下の様子を確かめた。
「サトル君ですね」
突然の声に全身の筋肉が一気に硬直した。その声が突き刺さると同時に、開かれたドアの隙間から、毛深い男の右手がヌッと差し込まれた。その手はドアを掴むと、信じられないほどの勢いで、ドアを全開にした。
「ちょっと我々と一緒に来てもらってもいいかな?」
顔を覗かせた男は、全身黒のスーツにサングラスをかけ、漆黒を思わせるほどに黒い髪の毛は、ポマードでしっかりと固められていた。
「ちょっと、いきなり、なんですか?」
「残念ながら、君には選択肢もなければ、拒む権利も、質問する権利さえもないんだ」
男はそう言うと、俺の胸倉をグイッと掴み、ズルズルと引きずるように、俺の身体を廊下まで引っぱり出した。
廊下には他に二人、ポマードの奴と同じような背格好の男が待機していた。こんな危機的状況の時には似つかわしくない表現かも知れないが、二人はまるでベテランの仕事っぷりを思わせるように、手際良く、俺を拉致するための作業を進めた。
「よし、車に詰め込め」
ポマードの男が、他の二人に指示を出した。
身体は太めのロープできつく縛られ、目にはアイマスク、口には猿轡を噛まされた俺は、男たちの力でひょいと担がれ、車の後部座席であろうシートの上に、放り投げられた。

「君には真実を吐いてもらうことになる」
車のシートに投げ入れられてから何時間くらいたっただろうか。かなりの距離を走った気がする。車から降ろされた俺は、古ぼけた薄暗い倉庫の中で、今、椅子に座らされ、その椅子と身体はロープで固定されている。幸いなことにアイマスクも猿轡も免れてはいるが。
「はぁ?真実……?」
「そうだ。これから君にたくさんの質問をする。もし君が嘘をついた場合は、この嘘発見器のポリグラフが乱れるから、答えが真実か嘘かはすぐにわかってしまう。もしそうなれば、君に命はないものと思って欲しい」
「嘘とか真実とか、いったい何だよ……」
と、小さなため息とともに疲れを吐き出すと、「君は真実を隠しているからね」男は間髪を入れずにそう言い切った。

「君はハンバーグが好きだね?」
「え?ハンバーグ?まぁ、好きだけど……」
俺は言われるがまま、質疑応答を始めた。
俺の答えに対して、モニタに映し出された嘘発見器のポリグラフの波形は穏やか。当たり前だ。こんなくだらない質問、嘘のつきようもないし、嘘をつく理由もない。
「君は野球が好きだね?」
「はい……」
――なんなんだ、この意味のない質問の嵐は?――
こんな不毛な質問が二時間近く続いた。真実がどうのって確信に触れるようなことも一切ない。ただただ疲れが増すばかり。
とその時、男が急に立ち上がった、
「サトル君。最後の質問だけは、私に変わって、依頼主からしてもらおうと思うんだ」
男の指差すドアが急に開き、暗がりからひとりの女性が入ってきた。
――アカネ……?――
それは恋人のアカネだった。彼女は肩を震わせながら、怒りの形相で俺の前に立つと、
「質問します!サトルは浮気をしましたね?」
予想だにしなかったアカネからの質問に、俺は条件反射的に思わず、「いいえ……」と、か細く消え入るような声で答えた。
その声とは対照的に、嘘発見器のモニタに映し出されたポリグラフのシグナルは、陽気なくらいに上下に乱れた波形を描いた。
アカネの隣に立つポマードの男は、さりげない仕草で、肩に付いた埃を払った。