ある物語のはじまり

むかしむかしのある晴れた日の午後、山のふもとの村で暮らす少年は、一面覆われた雪に自分の足跡をつけて遊んでいました。少し硬くなりはじめた粗目雪に身体の重みをのせてみると、ザクッザクッと小気味の良い音が鳴るので、まるで楽器でも演奏しているみたいに陽気な気分になってきて、どこまでもどこまでもその足跡を連ねて行くのでした。
斜めに歩いたりちょっと大股で歩いたりと、工夫を凝らして雪を鳴らすのに夢中になっていると、ふと目の前に、一匹のウサギが、足を怪我して血を流し、グッタリと倒れているのに気がつきました。

「ウサギさん、大丈夫ですか?」

少年はウサギに駆け寄り、グイッとその身体を抱きかかえると、一目散に家へと連れて帰り、介抱してあげました。
ウサギの大好物である、葉っぱや木の実をたくさん食べさせてあげると、数日の後にすっかり具合も良くなり、ウサギは「ありがとう、ありがとう」と、何度も何度もお礼を言いながら、山へと帰って行きました。
その夜、少年は、やけにハッキリとした夢を見ることになるのです。
どうやらそこは湖のほとり。ひとりで遊ぶ少年のそばに、見るも美しい天使が現れました。

「あなたは本当に心の優しい少年ですね。ウサギさんはすっかり良くなりましたよ。あなたが助けてあげなかったら、あのまま死んでしまっていたところでした」
「ただ当たり前のことをしただけですから」
「そんな心の澄んだあなたに、ウサギさんを助けてくれたお礼をしたいと思います」
天使はそう言うと、両の手のひらを上に向け、少年に差し出すように伸ばしました。そして、
「あなたの願いをひとつ、叶えて差し上げましょう」そうニッコリと微笑むのでした。
少年は、しばらく考え込んでいたのですが、ふと思いついたように、
「僕の夢は、世界中を飛び回って、いろんな人たちを笑顔にしてあげることです。そんな夢を叶えてくれますでしょうか?」
天使は、もちろんですと答えると、片方の手のひらを少年の頭の上に掲げると、なんとその手のひらからは、色とりどりの砂粒のような輝きが降り出したのです。
「それではあなたの夢を叶えてあげます。ただし、あなたは他の誰かを幸せにしようとしていますね。だから、あなたの夢は、あなた自身が幸せになったあと、人知れず、ひっそりと叶うことでしょう」
そういうと天使は、空の白と同化していくように、その身体が徐々に透明になり、やがては吸い込まれるように消えていったのでした。
少年は、どこまでも広がる純白の空を、しばらくぼんやりと眺めていました。
それから少年は、夢が叶うことなどすっかり忘れて、毎日を過ごしていきました。
これといった大きな幸運などは訪れなかったけれど、小さな幸せをたくさん掴みながら、青年になり、大人になり、今ではすっかり白髪に髭をたくわえたおじいちゃんに。そんな素敵な人生を歩みました。

 
ある日老人は、ふと夢を見たのです。
その夢ははるか昔、一度見たことのあるような、なんだか懐かしい夢でした。湖のほとりで遊ぶ少年が向こうに見えます。その少年のそばには、風に揺られるたびに美しい虹色のパウダーを放つ衣を着た天使。何やら二人とも幸せそうな表情で話をしているようです。
天使がコクリと頷くと、その手からは、赤青黄、金や銀のさまざまな色を帯びた星屑のような粒が飛び出し、瞬く間に少年の身体を神秘的なベールのように包んでいったのでした。
老人は夢の中でその光景を見届けると、ほっこりと温かい気持ちになり、そのままぐっすりと眠っていったのでした。

 
早起きの鳥たちの鳴き声に、老人がいつも通り目を覚ますと、ベッドの脇にひとり乗りにしては大きなソリが置かれていることに気づきました。はて、こんなソリが家にあっただろうか?そんな風に訝しげな表情をしていると、窓の外に見慣れない動物たちが、餌を欲しそうな表情で、老人がやってくるのを待っている姿が見えました。はて、あんななトナカイが家の近くにいただろうか?
またしても不思議な気持ちになった老人は、とりあえず外に出てトナカイの様子を見に行こうと思い、ジャケットを羽織るため、クローゼットをギィと開きました。
するとそこには、ボア生地でできた、真っ赤な衣装と真っ赤なかわいらしい帽子が吊られていたのでした。老人は楽しげにその服を身につけると、トナカイの方へと歩いて行きました。どこからともなく響く鈴の音を聴きながら。