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「せっかく担当さんに慣れてきた頃なのに、いきなり異動だなんてM社もひどいなあ」
入社二年目。私は小さなデザイン事務所に勤め、大手商社であるM社の営業担当を任されている。
上半期も終わり、業績不振からテコ入れを始めたM社はその方針を変え、一気に人事異動が行われた。それに伴っての担当者変更。
根が人見知りだから、担当者が替わるとか、めちゃくちゃ辛い。気が重くなる。

「どうもはじめまして。安井と申します。この度は担当変更でこの部署にやってきました。これからひとつ、よろしくお願いします」
サラッとしたスーツの着こなしや髪型から清潔感は漂っているものの、視線の送り方とか、笑みの作り方にどことなく胡散臭さが見え隠れする。そんな印象を与える男性だ。
「あ、はじめまして。里崎と申します。こちらこそ、よろしくお願いします」
お互いに名刺を差し出し、受け取る。
椅子に腰掛けると安井は、待ってましたとばかりに口を開いた。
「ユイさんって、S大学出身なんですね?」
「え?」
急な問いかけよりも、『ユイ』という名前が飛び出したことに違和感を覚え、肩がビクッと震えた。
「はい、そうですけど…」
「お菓子作りが趣味だそうですけど、ユイさんの雰囲気とお菓子って、ピッタリですね」
プライベートな会話を連発することに対して悪びれる素振りもなく、安井はこちらに微笑みかけてきた。
「あ、あの、誰か私と共通の知り合いでもいらっしゃいますか?私のこと、とてもよく知っていただいてるなぁって…」
予想していた通りの答えが返ってきた。
「ソーシャルネットワークサービスですよ」
やっぱり。
「最近じゃ、初対面の方でもSNSで事前にその方の情報や人となりを知っておくこと、ビジネスの世界では欠かせないですよね」
安井は得意げに、人差し指を突きたてた。
「はぁ…。そんなもんでしょうか?」
なんだか薄気味悪い。
「それにしても、先日作られたフィナンシェ!あれ、とっても美味しそうでしたね」
「あ、ありがとうございます…」
どこまで私のことを知ってやがるんだ…。気味の悪さに怒りが絡み付いたような感情が、胸の中にどんよりと渦巻いた。
「それにしても意外だったなあ。先日の女子会をやられたときの写真。ユイさんのビールの飲みっぷり、かなり豪快でしたよね!」
私の生きる世界で起こる出来事を、安井は土足で練り歩くように、ズケズケと露わにする。
「ユイさんの部屋の壁に貼ってある、エスニックな布、僕もああいうの好きですよ!」
安井はそう褒めたかと思うと、ハッと思い出したかのように目を輝かせ、話を続けた。
「それにしても、親友のナミさんと電話されてるときは、声のトーンがちょっと違いますよね?ユイさんって」
電話してる声?なんでそんなことまで知ってるの?そんなこと、SNSじゃわかるはずないのに…。
困惑している私の様子を尻目に、安井は声のトーンを少しだけ落とし、内緒話でもするかのように、ゆっくりと顔を近づけてきた。
「ユイさん、彼氏とエッチされるときは、結構激しくベッドの上を動きまわるんですね。彼氏さん、捕まえてるの大変そうだったじゃないですか」
嫌悪感が鬱蒼と込み上げ、吐き気を覚えた。
信じられない…。この男、いったい私のどこまでを知ってるの?何でそんなことまで知られてるの?気持ち悪い、キモチワルイ…。
すると、安井は嫌味なくらいに白く整った歯を覗かせながら、言った。
「ビジネスで一緒に仕事をするには、その人のことを深く知っておくほうが、楽しく仕事できますもんね。だから、SNSでどんな人か調べるのはもちろんのこと、盗聴器や隠しカメラを使って、もっともっとその人のことを知っておかなきゃね」
これ以上吐き気を抑えていられない。この場から立ち去りたい。この男と同じ空気を吸っていること自体が耐えられない。
負の感情が発する衝動に駆られ、私は席を立つと、フラフラと出口へと向かっていた。
その背中に浴びせられるように、安井の言葉が覆いかぶさってきた。
「今日予定されていらっしゃる彼氏さんとのランチ、どうやら彼氏さん、急な商談が入っちゃってるみたいですよ」
振り向くと、安井の指は、握られたスマートフォンの画面を、軽快にタップしていた。