未来観測アプリ

彼女がこんなにも泣き崩れているのを見るのは、初めてのことだ。
僕は彼女の肩を抱きかかえ、たまたま目にとまった、場末のバーに滑り込んだ。

「マスター、とりあえずビールを二つ」

駆けつけの一杯を飲みながら、彼女の涙のワケを聞こうと、バーカウンターに腰を据えた。
「ユミちゃん、そんなにボロボロに泣いて、いったいどうしたの?失恋でもしたの?」
目元のメイクがどんよりと滲み、腫れぼったくなった瞼。くぐもった鼻声で彼女は訴えかけた。

「そうよ、失恋よ!」
「こんなボロボロになるくらい傷つくなんて、よっぽど酷いフラれ方をしたんだね…」
思わずもらい泣きをしそうになるのをグッとこらえ、彼女の瞳を優しく見返した。

「いったい、どこの誰にフラれたっていうんだよ?」
そう尋ねるや否や彼女は、

「何を白々しい!あなたよ!あなたにフラれたのよ!」

まさか?僕は今の会社に入社し彼女と出会ってからというもの、ずっと恋心を抱き続け、その想いを伝えられずにいるっていうのに、この僕が彼女をフルなんて、そんなバカなことあるわけがない。

「ど、どういうことだよ?」
「惚けるつもり?あなた、最低ね!未来観測アプリで、私の未来を見たら、あなたに酷いフラれ方をしていたわ。それなのに、何よ、誰にフラれたのかなんて…」

未来観測アプリ?なんだそれは?見たことも聞いたこともない。近頃じゃ、そんな近未来的なアプリが世に存在するのだろうか?

「未来観測アプリって、いったい何だよ?」
「あなた、そんなことも知らないの?誰だって知ってるわよ、それぐらい。自分の未来を見ることができる、スマートフォンのアプリよ!見てよ、これ!」

彼女の操作で起動したアプリの画面には、確かに数年後と思われる二人の姿が映し出されていた。
映像の中の僕は、彼女の恋心を踏みにじり、その想いを無碍にしてしまっていた。

「ほんとだ…ごめん」

って、何で謝ってるんだ、僕は。今の僕は、こんなに彼女のことが大好きなのに。
しかし、彼女はその数時間後、すっかりと機嫌を治し、バーを後にした。
二人にとても愉快な未来が待っていることが、アプリを通じて分かったからだ。

その後の未来で二人は、ばったりと旅行先で出会うことになる。そして、二人は愛を確かめ合い、めでたく結婚する。
しかし十数年の結婚生活の末、お互いの価値観の違いから口論が絶えなくなり、とても円満とはいえない形で、離婚することになる。
でもそれからさらに数十年経った後、郊外にできた巨大な老人介護施設で、またしてもばったりと出会うことになる。
月日というものはとても優秀な名医のようで、夫婦だった頃のお互いの遺恨はすっかりと治療済みで、やはり再び引き合う二人。晩年は二人でゆっくりと過ごそうということになり、施設を出て、小さなアパートで二人は幸せに暮らすことになる。
そんな未来を見た彼女は、さっきまでの涙は嘘のように、黒くなった目元の奥で、ニッコリと瞳を輝かせ、バーを後にした。
まだ彼女に想いを伝えてもいないのに、二人の人生の果てまで見ちゃうなんて、妙なアプリもあるもんだなあ。
一息に吐き出したタバコの煙が宙に溶けていくのをぼんやり見つめながら、彼女のことを思い浮かべた。
まあ、細かいことはいいか。これからの未来、彼女と二人、騒がしくなりそうだぞ。

彼女は鬼のような形相で、僕の部屋へと入ってきた。

「あなたって、やっぱり最低な男ね!」
「どうしたって言うんだよ?」
「アプリを見たら、やっぱりあなた最低な男だってことが分かったわ!」

未来観測アプリで、二人のシナリオの最後までを見届けて、ハッピーエンドで終わったはずなのに、何をこんなにも怒ることがあるんだ?

「でも、未来観測アプリでは…」
「違うわよ!あなた生まれ変わったあと、私を選ばずに、他の女を選んだのよ!酷すぎる!」
「そんな?未来観測アプリじゃ、そんなことまで見れないだろ?何を言ってるんだよ?」
「とぼけないで!この目でしっかりと見たのよ!来世観測アプリでね!」