この町、最後の夜に

「美沙!いよいよ明日引っ越しやなあ」
「そうやで!まだまだやと思って余裕ぶってたけど、あっという間や。ほんま淋しいわ」
近所のファミレスでドリンクバーのコーヒーを飲みながら、どこまでも話は尽きない。

美沙は明日、この町を出ていく。
よくある事情といえばそれまで。父親の仕事の都合で引っ越さなければならなくなったから。
こんな小さな町には、もう二度と戻ってくる必要もないほどに、大きな都会へと引っ越していく。

「じゃあ、明日見送りに行くわな!」
「期待せずに待ってるわ!じゃあね!」

美沙と友人は、煌々と明かりが漏れるファミレスを後にした。

見慣れた町の景色を、名残惜しそうに眺めながら自転車を押して帰っている時、ふと、あのことを思い出した。
美沙には二年前に別れたままの男性がいた。
あの時、美沙は、それしか選択肢がないと思っていた。二人がその先傷つかずに済む方法は、それしかないと思っていた。だから、自分から別れを切り出した。
何度も何度も別れを拒んだ彼を、振り払うようにして、自分の悲しみにも蓋をして、一方的に別れを告げた。
そうして、それから、そのまま。
美沙は衝動的に自転車にまたがると、ペダルをグイッと踏み込み、前へと進み出した。
彼に伝えないと、後悔する。何を伝えたいかは、分からない。でも、最後にもう一度会って伝えないと。

夜の町をくぐり抜け、九月の風を切り裂き、薄暗い線路沿いをひたすら走る。
彼の住む町は、この線路に沿って延々と走った先にある。美沙の暮らした町よりも、さらに小さな町。
美沙は自転車を飛ばしながら、彼とよく行った喫茶店やカラオケ、公園や川の景色を思い浮かべていた。
思い出を蘇らせている時、自転車の荷台に、ガンッという重い衝撃を感じた。

「え?なに?」

思わず声をあげ、後ろを振り返ろうとするも、何かの力に阻まれて、振り返れない。
重さが荷台にかかり、自転車のスピードが極端に遅くなってしまった。

「ありがとうな。最後に俺のこと思い出してくれて」

耳の後ろの方から、かすかに声が聞こえた。それは確かに彼の声。彼が、なんで?
その時、前方の線路脇の細い道路から、車がスピンしながら現れた。車は、猛スピードで激しく壁にぶつかり、大破した。
目の前で起こった惨劇に、美沙は呆然とした。
あの時、彼が自転車のスピードを緩めてくれなかったら、あの車にぶつかってたとこだった。でも、なんで彼が荷台に?それも、姿なく、声だけ…。

確かこの辺りやったはずなんだけど。
二年ぶりに訪れたとはいえ、こんなにも道が分からなくなるものだろうか。
彼が住んでいた家の一角と思われる場所は、だだっ広い空き地が、ただただ広がっているだけ。

「あれ…?この辺りやったのになあ…」

ひとり言をぶつぶつ言いながら自転車を押していると、近所の住人と思われる、人柄の良さそうなおじさんが近づいてきた。

「この一角に住んどった人はなあ、大きな火事に巻き込まれてしもて、皆、亡くなってしもたんや、かわいそうになあ」

それは美沙にとって、あまりに衝撃的な事実だった。
彼は本当に死んでしまったのだろうか?
後悔することが分かりきった選択の果てに、彼との別れを選んだ美沙。思い上がりでも何でもなく、彼はきっと、自分と別れたくなかったはずだ。それは彼の止まることのない涙と、追いすがるような目が物語っていた。
それなのに、その彼を傷つけた。そして、彼はその後に、不運な火事に巻き込まれて、死んでしまったなんて…。信じられない。

「ここに住んでた人と、二年前まで付き合ってたんです、私。その火事って、いつ頃あったんですか?」

少しでも彼のその後を追いかけたくて、美沙はおじさんに尋ねた。

「二年前?ん?何が二年前やろか?ここで、大火事あったのは、確か八年以上前の話やで」
少し焦げっぽい臭いが、無表情で立ち尽くす美沙の鼻先を微かにかすめた。