月灯りが差し込む窓辺にて

盲目の少女が手に取ったのは、赤色のクレヨン。机の上には真っ白なスケッチブック。その左手は微かに震え、今目に映るものを描写しようとする瞬間。

一人暮らしの部屋の中にはポスターも、ポストカードはおろか、ぬいぐるみさえも無い。乳白色の蛍光灯が部屋の隅々までを照らし、少女の金髪をさらに煌々と照らし出す。二重のカーテンに閉ざされた部屋には時間の概念は存在せず、在るのは今を告げる空気の香り。時の単位は大きく変わり、今が何時なのかは誰にも分からない。素晴らしくココロ癒すアロマテラピーの、色の無い煙りとセブンスターの煙りとが混ざり合い、心地よい混沌を生み出す。少女の手には赤色のクレヨン。盲目の瞳がとらえる偶像と言う名の実像は、今まさに純白の生地の上に描かれようとしている。

 

左手に持った赤色のクレヨンが滑らかな曲線を走らせた。そこには気負いも遠慮も無く、気持ちの導くままの正直さ。色の濃さ、厚み、全てが瞳に映るそのまま、思いのままに描かれ、左右非対称のその曲線はやがて艶かしい女性の裸体へと化していった。赤色一色で描かれた女性の裸体は妙にリアルで、とてもクレヨンの濃厚さは物語っていない。繊細な肌の質感、エロスの肖像とも言えるくびれ、ふくよかなまでに盛り上がった乳房、唇を絡めたくなるような首筋、全てがリアリティに溢れ、少女の手はまさに美を生産するアーティストのそれに染まり出している。

 

部屋の中に流れるのは、サイモン&ガーファンクルが謳うスカボロ・フェア。異空間のように孤立する。蛍光灯の灯りが眩しすぎても少女には関係ない。彼女はそれには永遠に気づくことは無い。その両瞳はメビウスを直視した時のように鈍く凍りついてしまっている。原因は分からない。知る術も無い。それは事故なのか生まれ持ってのものなのか、何も語ることのない少女の瞳からは、何ピースのカケラも証明してはくれない。ただ、一つ言える事は、彼女はその両瞳でとらえたものだけを本能のおもむくままに描き出す。そんな才能を備えている。そんな才能と言うよりも、彼女に出来る事はそれで精一杯なのである。それが不満?彼女はきっとそんなことは考えてはいないだろう。もちろん満足や充足の念を抱いているわけでもない。ひたすら絵を描く。絵?果たして絵と呼べるものだろうか?ココロの表情?まだ、そう言ってしまった方が適切かも知れない。一秒一秒移り変わる心情描写。半永久的に同じ絵を創り出す事は不可能だ。今の心理は過去の産物。今すら時間に追いやられてしまう。せめて、せめてその瞬間の感動、感情だけでも色あせずに残せたら?それが出来る彼女はどんなに至福の時間を占有してしまっているのだろう?それは誰にも想像がつかない。理解出来るはずなど、到底に無い。

 

やがて、女性の裸体の周りには見たことも無い様な生き物の群れ。同じ生物は一つも無く。どれもこれも微妙に、且つ大胆に異なる。ただうかがい知れる事は幸福。決して薄弱とした希望などは映し出されていない。在るのは幸福。彼女がそう願う幸福。その生き物たちはどれくらいいるのだろう?明らかに裸体の赤よりもキツイ色彩を身にまとったモノや、白色のスケッチブックの中に埋もれてしまいそうなほど淡い色を遠慮深げに放つモノなどが、乱暴にも似た程に無数に存在する。それでも、幸福の象徴は女性の裸体。それには、如何なる男の欲望も、俗世間の儚さも全てを突き返すような力強さを持っている。空の色が美しい。青?藍?それとも群青?それとも・・?

空に浮かんでみたい。その空の色を見たときに感じた。無重力の際限無き魅力。鳥たちの語る表情の自由。風に身を任せる快感。とあるグラデーションは話す、

「鳥の様に空を飛んでみたい?バカな!君たち人間は歩くことが出来るんだろう?歩くって言う自由が許されているんだろう?なのに、君たち人間は歩くことさえやろうとしない。歩いてみようとすら思わない。歩くことを拒む様な愚者が、鳥の様に自由に空を飛ぶ事なんて出来るわけがないだろう?」と。

 

時間のスムーズさを見た。滑るように転がるように流れる時間の渦。ナイアガラの滝を拝むような、潔き滑らかさ。盲目の少女は笑顔を浮かべるでもなく、絵画の道程に達成感を見出すでもなく、ただただ白いスケッチブックを色の欲望で埋め尽くしている。背景には色の波。偽り無き波の重なり。とても色の選択を吟味して行っている様にも見えない手つき。しかし、荒さとは似つかない程の優しさ。まさにケアレス・ウィスパー。サイレント・ウィスパー。次々とその姿を白面の上に現し出す。完成まではあとわずか?果たして完成と名の付く終着点は在るのだろうか?その手はとめどなく走る。と、突然少女は呟いた。

「If My Desire will have Fallen Down, Next The Happiness of Broken Hearted People will be Saved for the God Hand and Chance to Get the Hope that I’ve Held in “THIS MY EYEs”.」

 

 

いつしか漂っていた音楽の香りも、その姿を隠し、クレヨンが白面をこする心地よい音だけが部屋の中に響いている。どれくらいの白を色彩の欲望の奥底にうずめたであろう?どれくらいの気持ちを正直に描き出すことが出来ただろう?ふと、少女は考えた。この一枚が最後の遺作になろうとも、そのココロの中に鬱積した後悔だけは残すまいと。しかし、人生のLast one pageをどうやって装飾するのだろう?どうやって飾り立てするのであろう?そして、誰と創作して終わるのだろう?と。疑問が疑問を呼ぶ瞬間。鎖に繋がれた連鎖反応。連鎖循環。もしも人間がココロの目を失ってしまったとしたら、何をもって色彩を感じることが出来るのだろうか?もしも、人間のココロの奥底に自由と言う両瞳が存在しなくなったなら、どうやって果てない道程を歩んでいけるのだろうか?そんな感情が、そんな憂鬱が、そんな感傷が彼女の放つカラーには隠されていた。隠されていたと言うよりも、現されていた。今手にしているのは緑色のクレヨン。それを持って彼女は何を描写するのだろうか?それを持って彼女は何処へ行こうとしているのだろうか?それは、誰にも分からない。分かろうとすると、その瞬時には彼女のココロの極地にひた隠される、生涯顔を覗かせることの無い、ありとあらゆる傷の数々に精神を平静では保っていられなくなることだろう。それを人の常とするのなら、どうぞ覗いてみてはどうだろうか?自分のちっぽけな存在に、今まで感じたことのないような挫折感を味わうことになるでしょう。

 

緑が木々を映し。緑が自然の偉大さを映す。その緑のやすらぎはやがて、彼女自身をも癒しの先端へと導いた。緑は瞳をも抱き、見えるはずの無い彼女の瞳を優しく包んだ。緑の流れはとめどなく、静止画のはずの生物たちに命の息吹を吹き込む。そして、限りあるスケッチブックの大地の上を限りなく歩きまわる生き物たちに出会うことができた。自由が確かにそこには在った。大袈裟にでも言うなれば、自由以外の創作物は見出すことが出来なかった。

 

薄紫色のクレヨンが最後の摩擦音を残し、彼女は吐息を漏らした。完成と言う愚言。未完成と言う名の軽薄さ。今盲目の少女は一枚の絵画を書き終えた。全ての終結があるかどうかは到底察しがつかないが、代言するなれば終結。最後の色をケースになおすでもなく、彼女は立ち上がり再びタバコに火を点けた。立ち上がりおもむろに窓の方に向かった。厚い生地から形成されたカーテンの波は蛍光灯の光を浴びてところどころに白い繊細さを表現していた。彼女はカーテンの右端に手を掛け、疲れとともにけだるく引っ張った。窓の外には夜の闇。目に飛び込むココロの灯りは月だけが手がかり。彼女は疲れた首を持ち上げ、窓の上の方、夜の空を見上げた。その瞬間、満天の星空が彼女の両瞳に飛び込んだ。それはプラネタリウムの如く、世界の上部を球体にカモフラージュさせた。優しく包む月と星の闇。季節は冬なので、もちろん肌寒い。だけど、彼女には、彼女だけにはその冷たさが感じられていないようだった。部屋の空気が自然の趣に満ち始めようとしていた。机の上には転がり続ける薄紫のクレヨン。止まる所を見失い、羨ましげに頭上のクレヨンケースを眺めている。タバコの煙が窓から屋外へと、自由を求めるように流れ出し、彼女もまた別の自由に恋しさを感じ始めていた。明日が朝の訪れを待つように、彼女もまた果てなき自由を望んでいた。視界に遮られる事のないような自由。まさに際限無き自由。時に色彩がその自由を感じさせてくれるのならば、彼女は永遠に絵画のマグマに身を焦がし続けるであろう。過去の産物と言わしめられるその日まで、今日のこの絵は色を放ち、やがて太陽の光と月の灯りがその色を映し変えて行くことだろう。机の上のクレヨンは相変わらず転がり続け、誰にも気づかれることなく回り続けるレコード盤。全てが正真正銘のアート。少女ゆえのロマンチックなアート。そんな彼女が羨ましい。確かに羨ましい。不可能と言う言葉が人々のココロの中から消えうせてしまうことが、それが現実ならば僕は彼女を抱きしめたい。そして、そっとキスをしてみたい。柔らかい唇に触れてみたい。そんな欲望が今夜だけは叶いそうな気がする。本当に叶うのかもしれない。彼女は傾きかけ、重力に恋をするように首を垂れるタバコの灰を紅色の灰皿の上に、そっと落とした。

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