冷たいあの人

 ここ最近、夫の様子がおかしい。
 興味深く私の話に耳を傾けてくれたり、家事にも協力できだったりと、表向きは以前と何ら変わらない。他人が見ても、夫の変化には気づかないだろう。
 子供が望めないかもしれないと医師に告げられたことで、決断した二人きりの人生。生涯のパートナーとして夫のことを心から愛し信頼している私が、その微妙な変化に気づかないわけがない。
 もはや、私にとって夫は、別人だった。
 どう変わったか?
 明らかに冷たい人間へと豹変してしまった。彼に触れたときに伝わってくる温度でわかる。彼の身体そのものが、明らかに冷たくなってしまったのだ。

「なんか、変わっちゃったんだよね」
 私は実家の母に電話で相談した。
「人ってそんなにも急に変わるもんかねぇ?」
「明らかに冷たいのよ」
「仕事で疲れてるんじゃないのかい?」
「仕事で疲れてるからって、身体(・・)が(・)冷たくなっちゃうかな?!」
 母には夫の変化を理解してもらいたくて、ついムキになる。
「身体?」
「そう。彼に触れてみればわかるわ。人間とは思えないくらい、冷たくなっちゃってるのよ」
「お化けじゃあるまいし」母は笑う。
「もしかして彼……お化けにでも取り憑かれちゃったのかな」
 冗談っぽく言ってはみたが、もはや霊の仕業だと説かれたほうが納得できるかもしれない。
「それはそうと、話は変わるんだけど……」
「なんだい?」
「ここ数か月間の記憶が、すっぽりと抜け落ちちゃってるんだよね」

 由紀子の母は、夫の変化に戸惑う娘のことを気にかけ、ある場所を訪れた。
「いらっしゃいませ!」
 スーツ姿の男が微笑みながら彼女のもとへ。
「調子はどうですか?」
「それが……」
 彼女は娘の主張――夫が冷たくなっている――を男に伝えた。内面的な問題ならまだしも、身体的に冷たくなってしまっていると。
「さようでございますか」
「なんとか身体だけでも――」
「では、体温を再現するプログラムを組み込んでみましょうか」
「そんなことができるの?」
「もちろんでございます」
 男は饒舌(じょうぜつ)に説明をはじめた。
「人間を完璧に再現できる弊社のネオヒューマノイド。大切な人を失われたお客様の寂しさを癒やすため、ご要望に応じて提供させていただくケースが大半です。そのため、お客様ご自身も伴侶がヒューマノイドであることを百も承知。ですから、体温の再現などよりも、やはり性格、声、仕草など、人となりの再現にこだわりを持たれるのが一般的です。ただ、費用を惜しまず完全再現を希望される方も、もちろんいらっしゃいます。追加料金は決して安くはありませんが、もしよろしければ!」
「娘のためだからねぇ」
 娘の幸せが途切れてはならない。そんな使命感を表情に滲(にじ)ませながら、プログラムの組み込みに同意した。

 まさかウチの子にあんな不幸が降り掛かってくるなんて、思ってもみなかった。
 アクセルとブレーキを踏み間違えた車は、コンビニから出てきた二人を襲った。免許を返納して当然の高齢者が運転する車だった。
 店舗の壁に挟まれた二人は、打ちどころが悪く、そのまま病院に運ばれ、由紀子は意識不明の重体。そして夫である正孝は、そのまま息を引き取った。
 正孝に深い愛情を抱いていた由紀子。意識が戻ったときに、愛する夫がこの世からいなくなっていることを告げられ、それでも前を向いて生きていけるほど、娘は強い人間じゃない。娘の弱さを誰よりも知る彼女だからこそ、手を差し伸べなければと思った。
 ただ、彼女は娘を救うための手段を知っていた。高度な技術で亡き人を再現すればいい。そして、正孝を模したネオヒューマノイドを発注。意識が戻り退院した由紀子は、なんの違和感もなく、正孝との生活を再開した。
 娘を騙(だま)しているのだろうか?
 そんな罪悪感もあったが、余計な真実など知らなくてもいい。人は何も知らず幸せに生きていられれば、それでいいんだ。
「最近の彼、調子が戻ったみたいなの」
 それから数日が経ち、再び由紀子から電話があった。
「あら? よかったじゃないの」
「わたしの勘違いだったのかな?」
「あなたも疲れてたんじゃない? 記憶がないとか、おかしなこと言ってたし」
「ほんとなのよ。いくら思い出そうとしても何ひとつ思い出せない。記憶に空白ができちゃったみたいで。ねぇ、ここ数か月のわたし、どんな感じだった?」
「――どんな感じ? 特に変わらなかったけど」
「だよねぇ……まぁいいか。正孝も元通りになったことだし!」
 娘の幸せを願うことが母としての務め。安心した娘の様子を電話越しに感じ、彼女は胸を撫で下ろした。

「娘さん、いかがでした?」
「おかげさまで。違和感もすっかりなくなったと、安心していました」
 何よりでございますとお辞儀しながら、スーツ姿の男は、手にしたパンフレットを彼女に見せた。
「ネオヒューマノイドを最新版にアップデートできるプログラムがございまして――」
 彼女はパンフレットに視線を落としながら、「でも、せっかく体温再現のプログラムを組み込んでもらったばかりだし」と、軽く難色を示す。
「体温? あぁ、正孝さんの件ですか」男は小刻みに首を横に振った。
「正孝さん用ではなく、奥様のご主人用のプログラムでございます」
「あら、ごめんなさい。つい勘違いしちゃって。確かに、購入してから随分と年月が経っちゃったものねぇ。そういえば最近、もの忘れも酷(ひど)いし、体力の衰えも激しいみたい――」
 男はパンフレットの価格表を指差しながら言った。
「でしたらこの機会に、ご主人のプログラムもアップデートいたしましょう!」

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