或る手紙

昨日仕事を辞めました。僕にはやっぱり普通の世界が合わなかったみたいです。せっかく結婚とか、社会的地位とか、順々に運んで行きかけていたんですけど。心底疲れたみたいです。なので、許してくれなんておこがましい事は言いません。ただ、しばらくの間、休む事だけでも認めて下さい。もう、夢なんて追っかけてる年齢じゃないとか、自由という言葉に憧れを抱く年齢でもないとか、そういうフレーズはイヤと言う程聞いて来ました。だから、だから、もうそう言う子供じみた事は一切言わないようにします。だって、僕がそんなガラクタを追い続ける道中で、たくさんの犠牲を垣間見ましたし、儚い傷だって自身増やすばかりになるのですから。今ようやく世間一般の常識人が切々と僕に言い聞かしてくれていた言葉の意味が飲み込めるようになりました。消化できるまでには、まだまだ時間を費やすでしょうけど。そう言った筋道からは、ほんの少しばかりはずれてみようと思います。

今でもオトナたちが好きになったわけじゃありません。僕の周りを囲むオトナたちを好きになれるくらいでしたら、仕事なんて辞めずにすんだことでしょう。でも、やっぱり僕は子供呼ばわりされるのも好きじゃないし、オトナを演じることも好みません。それは分かってくれるでしょうか?分かってくれれば、少し救われた気になります。

結局、人々は何を成就するために成長して行くのでしょうか?ある友達に言わせれば、年を摂ることに意味が在るとか。でも、僕はそんな風には思いません。やっぱり歳月を経ることは悲しい事にしか思えません。だって、誰だって止まって居たいはずでしょう?渋っていたいはずでしょう?どうなんでしょうか?変わって行く自分を許せない自分がまた一人増えて行くだけの、ただの必衰にしか取れません。栄華に満ちた年月を想像してみる時も、たまにはありますけど、こんな自分から繋がる道末は、やっぱり固定観念の下に否定せざるを得ません。それは正直なのでしょうか?それとも・・。

 

明日には旅にでも出てみようかと思っています。一切の全てを白紙に戻すべく、旅に出ようかと思っています。そこにゴールは在りません。それが心地よいのです。今まで、ゴールを急ぎ、誰かを傷つけ、前しか見ずにひたすら走って来ました。そういう自分を否定してみたくなりました。中には賛同してくれる人々も居たには居ましたけれど、時間と共にやっぱり消えて行きました。何かしら掴みたいと思って生きてきた循環は誤っていたみたいですね。やっと、ココロから自分を否定出来そうです。そのきっかけに仕事を辞めてみました。本当の思いつきです。朝が妙に怖くなっただけです。朝が越せませんでした。なので会社を辞めてみました。潔い思いつき。これも正当化ですか?そろそろ正当化癖を投げ出してみたいものですね。

大丈夫です。死んだりは決してしませんよ。こんな欲深い僕ですから。死をわざわざ望んだりなんかはしません。安心して下さい。ただ、気になるのは残してきた全ての物。全ての人。僕を悲しんだりして下さいなんて無礼な事を言ってるんじゃなくて、孤独の末端と同化するのが怖くも楽しい。そんな戯言を吐いてみたりしています。どうかお体には充分気を付けて、後生を目一杯楽しんで見てください。それでは、僕はそろそろ行かなければなりません。気が向く事はないでしょうけれど、もしも向いたその時には、何も無かったかのように戻って来ます。それを期待せずに待って居てください。それでは、本当のさよならです。

 

追伸 明日の天気は晴れだそうです。

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