くだらない話

悲しみがまだちっぽけな存在だった頃、人々は肉や魚を自由に喰らって過ごしました。まだ、塩なんて物が重宝される以前のお話。はっきり言って、頭の中は、からっぽ。それこそ、欲望のままに、欲望に正直に生きていました。戦争なんて言葉は誰が考え出したのでしょう?本当に戦争なんて言葉が流行り出す、ずっとずっと前のお話。読んでくれますか?読んでいただけたら光栄です。

 

 

「jkfh;会うせぁろおうちおえ9いしあ00い」

村長?いや、村長なんて言葉もまだ無い。位も何も無いので、あえて言うなら、聖父?そうでも言っておきましょう。その、聖父の言葉が響きました。今はまだ朝の六時。いや、時間なんて物もまだないですね。失礼しました。今の時間で言うならば六時くらいです。その朝早くに聖父は集落のみんなに叫びました。やっぱりこの頃から聖父の叫んだ言葉のように、朝ごはんの支度は行われていたのでした。

「sぢゃおほほうあさhろえあおは」

人間の一人がそう言いました。そんな朝も在ったんですね。今では朝は急ぎの流れ。止まらない時間を再認識し出すためだけに在るような感じがしますが、やっぱりこの頃は違います。そう、今人間の一人が言ったように穏やかな一日の始まりなんです。

「sjッヤひおうぇyへ追い八尾エーあをう会え居wパイ80vb89r亜9エーヴィそぴrvbレア7;絵うr9pv」と再び言いました。

本当に朝は緩やかです。気持ちが晴れます。今日の天気はもちろん晴れ。雨乞いをしない限りは、ずっと続いていく晴れ模様。

「亜h;は@ウェう3r93らwぽぴぴあおぴれrうぇr:あうえらい」

「おあw87あw8v8あ」

「c5tんー小津居bヴそえ;え;9v4ヴぉいあ:3」と言った後に、

「いおあbv7あ09w378c8iwiieurauurv」と笑いました。

 

仕事?そんなモノは存在していないって事は想像通りでしょう?もちろんそうです。仕事と言うよりも役割分担。でも、その役割分担ですら仕事の前身の様に感じられる、悲しい性。貧富の差がもたらす幸や不幸を考えても見て下さい。少なくとも、現代の歯車の狂いはそこら辺からもたらされたモノだって事に気が付くでしょう?しかし、世の中を良くしようと考え出すと言うことは、今の世界、状況に足音を近づけて行くだけの行為なのかもしれません。欲を取るか、善くを取るか?きっとそれだけの話なのかも。

 

皆さん、こう言う感情を抱いた事って無いですか?ぬるま湯の中の反抗。まさに今の日本人の若者なんてこればっかりじゃないでしょうか?現代の情勢、文化、環境、体制、全てにおいて満足を感じながらも、手の届く範囲で不平不満を垂らしてみたり。まさにぬるま湯の中の反抗なんではないでしょうか?何一つ成就出来ない人間が、今の状況のせいにして不満を述べる。まるで、自分から進んで迷い込んだ悪運の森に居る、その自分の今を世間のせいにしてみたりとか、会社のせいにしてみたりとか。数えあげ出すとキリが無くなってしまいます。何故そんなに不満ばかりを言うんでしょう?簡単なのにね。仕事が面白くないのも、会社がつまらないのも、恋人が優しくしてくれないのも全部自分の身から出たサビ。そうまとまるのが、皆の大好きな常識ってヤツじゃないのでしょうか?あの時代にはこんな風に言う人間も居ました。

「klsdじぇv9bv0rtぴぽヴぉtt0btdぴtbぬ7うrt945歩t置いてs地bs9rbん0ts0@ttbm@9ん08yんs09tbsyny9う09州980pんt-8sん0t8bhrtsん88t0y8tsb9sんs-0ysbrsb」

まさにその通りなのではないでしょうか?どう感じますか?今の言葉を聞いて。

とある人間の二人が性行為に夢中になっています。しかし、見ていると今のそれとは何もかもが違って見えます。何故なんでしょう?きっと、愛と生とが平等に共存している様、とでも言いましょうか。もちろんルネッサンスや抽象絵画なんて始まる前のお話なので、性に対して美と言う感情は存在しません。しかも、恥なんて感情もひた在りません。あるのは生に対する貪欲さ。なのでしょうか?きっとセックスが高価になり過ぎたのかも知れないですね。街々では安価で売買され行く性の正体ですが、それもこれもセックスが高尚化してしまった結果が産んだ惨劇なのでしょう。

でも、そんな戯言はキレイ事。その一言の下に一喝されてしまいそうですね。現に私はセックス狂です。セックスきちがいなのです。皆さんもそうかも知れませんね。そんな私がキレイ事を並べてみたところで、共感してくれる人間なんて居るはずもございません。仕方が無い。野蛮化した性に杯でも捧げます。

 

四十年。この頃の人間の寿命です。短いですか?ホントに短いですか?その人間の生きて来た足跡も見ないで短いなんて言えますか?じゃあ、そんなあなたに質問です。百年生きた人間に本当に意味など在ったんでしょうか?本当に生きていたと言えるんでしょうか?奴隷の存在を否認出来ますか?無駄に生かされていた分けじゃないと言うことを証明出来ますか?早く、その百年生きた人間に変わって、その証明をしてみて下さい。命を懸けてでも立証してみて下さい。どうせ寿命は百余年も在るんでしょう?それなら、たっぷり時間が在るじゃないですか?早く証明してみて下さいよ。私は四十年も生きられないままに死んでしまうので、出来れば早急にやってみて下さい。私の胸の内がスッっとするような快活な答えを用意してみて下さい。それが出来るのでしたら、百年の生に納得が行くってものです。皆さんも、この用意された時間の中で精一杯頑張って下さい。なんだか書くのがめんどうになって来たので、このへんで終わりにさせていただけはしないでしょうか?誠に勝手ではありますが、当の作者が飽きてしまったので、中途半端なまま、この話を終わらせていただきます。どうか、続きは自分たち、あなたがたが書いてみてはどうでしょうか?なんせ、私はもうこの話になんの興味もございません。勝手な都合で本当に申し訳ございません。それでは、よい一日を。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>