あめいじんぐれいす

ただ静かにドアを開け、見慣れないその先生は入って来た。僕たちの前に姿を見せた先生。まるで、異人さんの様な姿をした先生。

 

 

「みなさん、おはようございます。私が今日一日だけみんなの授業を受け持つことになった、○○○と言う者です。どうぞ、よろしくお願いしますね。」

なんて純粋な子供たちなんでしょう。それは、まるで無垢。確かに無垢。私がこの子たちに教えられる事はと言えばただ一つ。たった一つでしょうね。

 

季節は冬なので若葉も悲しい。首を垂れる花々。色の無い世界。教室の壁には生徒が書いたであろう絵の数々。目が眩しくなるような景色。私は今、その世界に身を預けている。そろそろ口を開こうかしら。

「みなさん、みなさんの夢ってどんな物なんでしょう?夢って観たことありますか?」

そう、夢って結局一つしかない。眠っていようが抱いていようが、種の違いは無く、ただ一つ。

「夢を持つってことは素敵な事なのかしら?本当に?何処がどう素敵なんでしょうね?おとうさんやおかあさんはみんなによく、大きな夢を持てとか、夢を抱いて生きろとか言いませんか?でも、果たして素敵な事なんでしょうか?誰か知っている人は居ますか?」

私は全てに問うた。もちろん自分自身のココロの中にも。まるで夢など無かった日々、夢に夢観ていたあの日。夢の重さはどれくらい?

「夢を追い求める事は確かにイイ事です。かっこいい事です。でもね、夢が犠牲にするモノたちも在るんですよ。本当は。」私は続ける。

「犠牲になるモノやヒトの事を考えたことなんてありますか?まさに残酷なことなんです。夢を持つ事、追い求めることは。真実はね、深い眠りの最果てに在る夢が全てです。キレイなまま終われます。なので、だから、夢を持つ事は止めましょうね。犠牲になるモノたちが可愛そうでしょ?じゃあ、今日限り止めましょうね。」

それは、きっと事実でしょう。夢がキレイだなんて無責任なセリフは口が裂けても言えないでしょう。傷ついたココロ。奪われたココロ。それがなんだと言うんでしょう。いいかげんな道化師。

 

「夢の次に残酷なモノは恋です。恋は残酷どころか、冷酷なモノなんです。冷酷って意味分かりますか?人を殺すようなモノです。今恋をしている人って居ますか?恋や愛の意味を知っている人は居ますか?どうでしょうか?」

 

猫の声がした。教室の側。すぐ側。どういう意味なのは分からないけど、猫が無性に愛しく感ぜられた。このまま抱きしめようか?

「恋をした人間がどうなるか知っていますか?その先に待っているものは、悲しみと言う感情。排他的であり、自虐的。独占の塊なんでしょうね、きっと恋する人のココロの中は。だから、恋なんてモノは一生せずに生きましょうね?意味が分かりますか?恋とか愛とかはしちゃいけませんよ。」

 

そう、自分に言い聞かせた。全ての言葉の羅列は自分の胸の奥。胸の奥から出て、胸の奥に帰って来る。責任は逃れたつもり。あの日からずっと、逃れて来たつもり。

 

生徒の目は虚ろ。焦点は無い。暗い闇を見つめるかのよう。ただ一点を。

 

「乾いた人々が居ます。日本のあちこちにも、世界の街の片隅にも。寂しいでしょう?悲しいでしょう?笑顔が絶えないままに居ましょうね。」さらに続ける。

「ゴールが無い道を走っています。例えばの話ね。ゴールの無い道は景色すら変わりません。それでも、ひたすら、何かの犠牲になって、自分という名の鬼の奴隷になって走っています。その先に待っている物も、待っている人も知っています。それでも、夢中で走っています。と言うか、走らなければいけません。どんな気分がしますか?どんな気持ちで居られますか?考えて見ましょうよ。そして、ゴールも無い道には、たくさんの弊害が在ります。それをどうにかして越えて行かなければいけません。そうしないと、その瞬間にゲームオーバーなのです。奴隷の身分には相応しい境遇でしょ?みんなも私も今、その道の上を走っています。フルマラソンの様にキレイなモノじゃありません。ただ、無垢なだけ。それが救いでしょうか?救いなんて思いませんよね?過酷ですもの。脱落するのを楽しみましょう。隣の誰かが。その瞬間あなたはゴールの無いゴールに一歩近づきました。嬉しいですか?楽しいですか?そのままずっと、ペースも変えずに走りましょう。しんどくなっても、疲れても、例えケガをしたとしても休めません。休む事は死を意味します。もしくは、負けを意味します。どうですか?そんな風になりたいですか?なりたくないですよね?じゃあ、休んでなんかいないで、早く走りましょう。もうすぐです。何がとは言えませんが、確かにもうすぐです。」

 

舌のウラがヒリヒリし出した。何故の痛み?子供たちの痛み?自身の痛み?

 

私は少しだけ窓に近づいた。ただの廃墟。窓の外。憂い月は憂鬱の色。おもむろにカセットテープを取り出し、デッキに入れた。何の曲が入っているのかは分からない。ただ、大昔から持っていたような気がする曲。いつかばんに入れたのかさえ分からない。そう、おもむろ。ただのおもむろ。人差し指が空気を分かち、マシンの再生ボタンに触れる。怖くは無いけど、恐ろしい。もちろん曲の事とか、音質の問題じゃない。全ての恐怖が今・・。

 

静かに流れ出す音符の香り。テープがリールの上を滑らかに走る。かすかな雑音。わずかな空気。やがてその音たちは教室の隅々まで浸透し、生徒たちの耳の中を染めていく。色仕掛けの音。

 

「でもね、夢が無い人間に何が創れると言うのでしょうか?恋に傷つかない人間が誰を守って行けるのでしょうか?私は、人間が人間じゃなくなるまで、永遠に夢に憧れを持ち、恋を謳って行くことでしょう?しかし、その道は果てなく険しい。命が繰り返すのならば賭けてみたい気持ち、分かるでしょ?それならば、一度しか無いこの命を夢や恋に預けるのもイイかも知れませんね?でも、あえてと言えば誤幣になるので止めますけど、初めから何も期待してなんか無いんだから、溺れるまで潜ってみるのもイイかも知れません。私は少なくとも、そうするつもりです。他の誰か、例えば自分を求めてくれる人々がなんと言おうと、私は身を投じます。夢はきっと素晴らしい物です。つかめそうでつかめない、音の群れのような感じ。希望や期待とは違います。そんな華やかでは無いからです。そんな華やかならば誰だって手に入れれるでしょ?だけど、夢は違います。なんの感動も在りません。なんの感情も在りません。ただ、ただ、手に入れたい。この掌で独り占めしたい。そんな欲求なのかも知れません。それは、私も味わったことの無い想い。きっと傷つきます。夢なんて儚いモノ。壊れそうなモノ。手にしてしまえば一瞬にして壊れてしまうようなモノなのかもしれません。じゃあ、まずは壊してみましょうよ?自分の中から全てを壊してみましょうよ?そのカケラたちは思い通りに変わって行くことでしょう。壊れそうなモノにいつしか怯えて、人は歩みを止めてしまう。その結果、いつまでたっても夢や恋は壊れそうなガラス細工。今からでも遅くはありません。体ごとぶつかって、抱きついてみましょう。果たしてそれらは本当に壊れそうな儚いモノだったのか?その目で観ましょう?その手で触れましょう?全てはそこから始まります。きっと、恋や愛だって同じ事。他人を傷つけてまで奪うのが愛でしょうか?何かを犠牲にしてまで手に入れるモノが恋でしょうか?おそらくそれも愛でしょう。それも恋でしょう。みんなの価値観で判断して下さい。たぶん、その真っ只中に居る君たちは、価値観なんてちっぽけなモノに頼らなくても、答えを導いて来られるはずです。その時巡り会う気持ちが正直な気持ち。従うべき気持ち。もう、自分の奴隷になんかならないで、目の前の愛する人に向き合いましょう。その瞳から訴えかけられる言葉を受け止めましょう。素晴らしいモノです。恋や愛は。はっきり言えます。これからみんなが経験して行く愛や恋の中から、目いっぱい優しさや喜びを感じてください。もちろん教科書も参考書も捨てて。受験や労働よりも大事なこと。忘れてはいけないこと。例えそれらを軽んじたとしても、感じることをやめないで下さい。自由な空間に居る気持ちを想像して生きて行って下さい。インスピレーションの嵐の中で。」

 

 

その曲が終わると先生は消えてしまった。僕が瞬きをしてる一瞬の内に。何処に行ってしまったんだろう。ドアがかすかに開いている。開いていると言うか、閉じられないでいるドア。きっと何もなかった。全てが無かった。そんな気がした。あの曲と共に。

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