盗塁王のサイン

あの日、僕を勇気づけてくれたこの帽子のせいで、まさかこんなことに巻き込まれるなんて――。

「お前が犯人なんじゃねぇの?」友人がからかう。「そんなわけないだろ!」むきになって否定する僕。
ここ数日、どうも様子がおかしいと思っていた。街を歩いていても、妙に他人と視線がぶつかる。顔に何かついてるのかなと思ってもみたけど、何もない。他人の注目を浴びるほど、オーラをまとっているなんてことは絶対にない。それなのに、なぜか視線が集まる。
「そりゃ、そんな帽子被ってりゃ、お前が犯人だって思いたくもなるぜ」
「そんなぁ……たかがこの帽子だけで?」
「あんなにバチッと映ってりゃなぁ」そう言うと友人は、ファストフードのコーラを一気に飲み干した。

先日、近くのコンビニエンスストアに強盗が入った。現金3万円ほどを奪って逃走を試みたが、偶然近くを通った警察官に取り押さえられ、あっけなく確保。それだけなら、こんなにも僕を困らせることはない。問題は、防犯カメラに映った映像だ。
不審な動きを見せながら店に足を踏み入れ、店内を見渡す。客がいないことを確認し、レジへと向う犯人。一部始終を捉えた映像のなかで印象的だったのは、犯人が被っていた帽子だ。それは、プロ野球球団Mの帽子だった。

「うわぁ。ありがとう!」
小学生の頃、父からもらったこの帽子。当時、走るのが遅く、クラスメイトからもよくバカにされていた僕にとってのヒーローだった盗塁王の山下選手の直筆サイン入り。帽子のツバの裏には〈塁を盗め!〉と書き入れられていた。その言葉に勇気づけられるように、僕は苦手な運動を頑張れたし、その後の人生で立ちはだかる困難も乗り越えることができた。心が折れそうになったときでも、向こうに待つ塁へと全力疾走する気持ちで踏ん張れた。チャンスはやってくるもんじゃない。自分で走り、そして盗むものなんだと。
今じゃオーナー企業が何度も変わり、当時のM球団の帽子を被っている人なんて絶滅危惧種。そんな中、ニュース番組でドドンと映された球団Mの帽子を被った犯人の映像。よほど人々の印象に残ったのだろう、街を歩く人たちは、同じ帽子を被る僕のことが気になって仕方がない様子だ。友人が言うように、僕のことを犯人だと勘違いしている人も、なかにはいるかもしれない。そう思うと、一気に気が重くなった。

何気なくインターネットを眺めていると、事件について言及した口コミが目にとまった。
『コンビニ強盗の犯人は、盗塁王山下選手の大ファンだった』
僕は目を疑った。同じ帽子を被っているだけならまだしも、大好きな選手までカブッているなんて――。
驚愕の事実はまだ続く。インターネットの口コミなので信ぴょう性に欠けるかもしれないが、犯人が被っていた帽子のツバの裏には、〈塁を盗め!〉と書かれていたという。
「ふざけるなよ! 山下選手は塁を盗めって言ったんだぜ。誰も金を盗めなんて言ってない。名言を悪用するのもいい加減にしろ!」
自分が犯人だと勘違いされるストレスからか、思わずパソコンのモニタに向かって叫んでしまった。
ん? 待てよ? あの帽子は、父が山下選手から直接サインを貰ったもの。世界にひとつしかないものだよな?

「あっ、お父さん?」
気になって父に電話してみた。大学進学と同時に寮に入った僕は、実家に帰る機会も激減。父の声が少し懐かしかった。
「昔、山下選手の帽子をプレゼントしてくれたよね? そうそう。サイン入りのやつ。あれってさぁ――」
父はあっけなく白状した。運動を頑張って欲しいあまり、僕に嘘をついていたことを。どうやらあの帽子は、山下選手から直接もらった直筆サイン入りのものではなく、大量生産で販売されていた商品だったそうだ。山下選手の魂がこもった、たったひとつの帽子だと信じてきた僕は拍子抜けした。でも、僕のことを思ってプレゼントしてくれた不器用な父の優しさは嬉しかったし、何より帽子のおかげで、ここまで頑張ってこれたのは事実だ。
感謝を伝えようとした僕に、父は言った。
――ところでお前、コンビニ強盗とかしてないよな?
人々の視線を盗んで逃げまくる日々はまだまだ続きそうだ。

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