星が降る夜に

いつかキミは僕に、「星がひとつも見当たらない、真っ暗闇の空を知ってるかい?」と尋ねてきた。知らない――と僕が答えると、キミは残念そうに目を伏せた。僕はいまでもこうして空を見上げながら待っている。あの日、キミと見た空がやってくるのを、こうしてずっと待ってる。

「イズミ? 今日の夜、あいてる? 珍しいものを見せてやろうか?」
僕の名字を、まるで愛称のように呼ぶキミ。もうすぐ中学生になるとはいえ、深夜の外出など経験したことのない僕は、少し不安になった。でも、「あいてるよ」キミの誘いなら仕方がない。
「じゃあ、自転車で迎えに行くね」
キミと僕の不思議な夜は、そんな風にしてはじまった。

遅刻癖のあるキミは、その日も遅れてやってきた。いつだって、今日は来ないのかな――と心配してしまう。ゴメンと謝るキミ。僕らは月明かりを浴びながら山の上を目指した。
しんと寝静まった民家がポツリポツリ。途中までは緩やかな坂だったから、自転車をこぐのも余裕だったけど、徐々に勾配がキツくなると、荒くなるふたりの息づかいだけがやけに目立った。
体力の限界を感じたふたりは、示し合わせたように自転車から飛び降り、寂れた民家の隅に乗り捨てた。
「ここからは歩いて行こう」とキミ。両足の疲れを堪(こら)えながら、一歩一歩、着実に歩いていく。チカチカする星たちは、地球からずっと遠くにあるはずなのに、こうして山の上を目指していると、どんどん近づいている気がするから不思議だ。
無言のままのふたりは、きっと無意識に歩を進めていた。そして、気づけば山の上の見晴(みはらし)台(だい)に寝そべっていた。

「今夜は一年に一度、星が降る夜なんだ」
「星が降る?」
「うん。星は一年に一度だけ、そのすべてが入れ替わるんだ」キミの瞳には憧れの色が浮かんでいた。
それからしばらくの間、クラスメイトや担任の先生の話で盛り上がった。非日常的な空間で交わす他愛もない会話。どこか滑稽に感じられた。
会話が少し途切れた瞬間、キミは急に人差し指を口に押し当て、黙るよう促した。
「はじまるよ」
キミのそんな言葉をきっかけに、空が小刻みに揺れ動きはじめた。まるで小石をふるいにかけているように、ユサユサと揺れる空。僕はこわくなって目を閉じた。
「こわくなんかないよ。ほら、見てごらん。星が降りはじめた」
キミは僕の肩を優しく揺(ゆ)する。僕はこわいもの見たさに、閉じた目をゆっくりと開いた。
永遠の不変さを信じて疑わなかった空の星たちが、ゴールドに着色された雨粒のように降っていく。暴力的ともいえるその美しさに気圧(けお)されて、うわぁ――と怯えた声を上げる僕をよそに、星たちは次々と街に降り注いでいった。
「街のヤツらみんなバカだろう? こんな奇跡を知らずに眠ってやがるんだぜ。明日の朝も今日みたく、当たり前のように目が覚めると信じ切ってる。それさえも奇跡だっていうのに」
目の前の光景をまだ信じられずにいる僕は、何も返事できず、キミの言葉をひとり言(ごと)にしてしまった。
星が降り注ぐにつれて、空に浮かんでいた星たちはどんどんとその数を減らし、ついにはひとつの星も見つからないまでになった。
そしてキミは言う。「ほら。完璧な真っ暗闇だ」と。
月明かりだけじゃあまりに心細すぎて、気づけば僕はキミの手を握り締めていた。もしかしたら僕の爪が食い込んで痛かったかもしれない。

「お母さんは今夜、星になるんだ」
顔の輪郭すらもわからない真っ暗闇の中、キミの声がそう言った。
「星が入れ替わるって言ったろ? 実はね、星っていうのは、死んだ人たちの魂なんだよ。この世で輝けなくなった魂たちは、星として空で輝く。いいかい? 見ててごらん?」
次の瞬間、さっきとは逆に、街のいたる所から黄金の光が立ち昇り、我先(われさき)にと空に舞い上がっていった。眩(まばゆ)い光の嵐が巻き起こり、大爆発を起こしたように輝きを放つ。まるで逆再生の映像を見ているように、新しい星たちが真っ黒なキャンバスに吸いついていく。
瞬きを繰り返し、ようやく目が慣れてくると、目の前にはまっさらな星空が広がっていた。
「あの中にお母さんがいるんだ」
「えっ? キミのお母さんって――」
「狂人に殺されたんだよ。それも、人ちがいで。本当だったらお母さんが死ぬ理由なんてなかったのに。どこかで狂人はまだ生きていて、僕のお母さんは死んでしまった。こんな理不尽なことがあるかい?」キミは少し語気を荒げた。
「星として輝くには条件がある。それは、この世で善(よ)い行いをした者。そうでない者は輝くことが許されない。そんな魂は、きっとどこかで人知れず腐っていくんだろう。お母さんは、ずっとずっと善い行いをしてきた。誰よりもね。それなのに――」
キミの声は徐々にかすれ、鼻声になり、生まれ変わったばかりの星たちの明かりが、目尻から垂れる涙を浮かび上がらせた。
キミがすする鼻の音だけが小さく響き、僕はただそれを聞いていた。キミの悲しみを受け止めるように。
「でもね。自分で死を選択すると、星にはなれないんだ」ポツリとキミは言った。
それから小雨が急に降りだした。それは星になれた魂たちの嬉し涙なのか、この世を去ることになった悲しみの涙か。僕たちはびしょ濡れのまま、無言で山を下りた。

あの日から僕はどうやって生きてきたのだろうか。かなりの年月が経ち、今じゃとても記憶が曖昧だ。
覚えていることといえば、あの夜の奇跡から数日が経ったある日、キミは教室の中、空席の机の上にポツンと置かれた花瓶の中の花に変わっていたこと。あとは、自分で死を選択すると星になれない――キミは確かにそう言ったじゃないかと、叫びながら壁を何度も殴り続けたこと。拳がグチャグチャになって、信じられないほどの血が流れたこと。それから――あとは何があったっけ?
キミが知ったら少し悲しむだろうか。今では、見上げても星はほんのわずかしか輝いていない。善い行いをする者がどんどん減ってしまったせいで、星の数も激減した。
それでも僕は星が降る夜を待ってる。もしかすると、キミが星になって輝ける日がくるかもしれない。そう信じ、祈りながら夜空を眺める。
僕はキミのように、星が降る夜がいつ訪れるのかを知らない。だからこうして、毎日ここへ足を運ぶしかなかった。でも、そんな人生が無駄だとは決して思わない。むしろそれは僕だけに課せられた義務だとすら思っていた。

今夜も変わらず星を眺める。満天とはほど遠い星空を。
いつもと変わらない夜空。諦めて帰ろうとした僕は、かすかに空が揺れるのを感じた。フラッシュバックするあの夜の記憶。すると、わずかばかりの星たちがゆっくりと流れはじめた。
もしかして――!?
まるで奇跡とはほど遠い、子供だましのエンターテイメントのように、星たちはか細い線を描くばかり。とても星が降る夜なんて呼べやしない。ただ、僕は嬉しかった。再びこの夜に立ち会えたこと。
やがて完璧な真っ暗闇が僕を包む。キミの手のひらの感触が蘇る。僕の爪は痛かったろうか? そして、まっさらな星たちが姿を見せる。
「ああ、もう数えるほどしかないや」
この世が善い行いをする者たちで溢れかえりますように。僕は少しばかり浮かぶ星を眺めながらそう願った。
きっとこの星のなかにキミはいないな。そんな気がする。やっぱりキミは星になれないのだろうか――。
キミと歩いた日の記憶をたどるように、一歩ずつ踏みしめながら山を下りる。
「あっ」
そういえばあの夜、ふたりで歩いて(・・・)下山しちゃってたんだな。すっかり忘れてた。朽ち果てた民家の隅に目をやると、あの日ふたりで乗り捨てた自転車が、今もまだ寝そべったままになっていた。
あまりに懐かしくて、キミの自転車にそっと触れてみる。すると、熱を帯びたように一瞬だけボワッと光を放ち、その光は慌てたように点滅を繰り返すと、打ち上げ花火みたいに空へと浮かび上がっていった。
よかった。キミも星になれたんだね。
遅刻癖のあるキミは、こんなときまで遅れてしまう。僕はいつだってキミが来ないんじゃないだろうかと心配する。キミの存在を近くに感じながら空を見上げると、今まさに生まれたばかりの星がキラリと瞬(またた)いた。
ねぇ、キミ。聞いてるかい? あれは本当に人ちがいだったんだ。まさかキミのお母さんだなんて思ってもみなかった。それを知っていれば、殺すことなんてきっとなかった。
キミに会って罪を償いたいけど、僕は星にはなれない。キミが言ったように、そんな魂はどこかで腐ってしまえばいいと思う。だからその日がくるまで、生きていかなきゃいけないんだ。星になれないことを知った人間は、どこまでもどこまでも、罪を背負って生きていかなきゃいけないんだ。

やがて降りはじめた小雨――キミの涙を浴びながら、僕は山を下りる。キミが空から照らしてくれているせいか、いつもより少しだけ、世界が明るく見えた。

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