Sakura Decadence

「で、それからどうなったの?」
米原美桜(みお)の友人の景子が、焼き鳥の串を頬張りながら尋ねる。
「唇にタレがついてるし」
「それはそれは、お恥ずかしいところを」
おしぼりを手に、景子が口元を拭う。
「勝人(かつと)と別れたあと、偶然にも大手芸能プロダクションのS社から連絡があって、所属することになったの。夢みたいな話じゃない?」
「そういう話って、ほんとにあるんだねぇ」驚いた様子の景子が首を小刻みに振る。
「それで、今の番組のアシスタントに抜擢されて、お茶の間デビュー! って感じ」
「タレント石原雫が誕生したってわけね」
「ですです」美桜はペコリとおどけてみせた。
芸能人御用達の高級焼き鳥店に景子を招待した美桜。タレントになってからというもの、かなり羽振りがよくなった。昔からの友だちに自慢したい気持ちもあって選んだ店。予想通り、景子は入店前からワクワクしていた。
「勝人くんとは?」
「もう、連絡すら取ってない」
「要するに、捨てたってことね?」頷く景子。
「違うよッ! 恋愛に終わりはつきもの。破局は仕方がなかったんだよ」
「破局って、芸能人みたいに言わないでくださーい」
「だって芸能人だもーん」
個室の扉が開き、店員が姿を見せた。腰を屈め美桜に近づくと、店の入り口を指差しながら、美桜に耳打ちする。驚きで目を丸くした美桜は店員が退出したあと、景子の耳元で囁いた。
「俳優の中林純也が店に来たんだって」
「うそッ!? ファンなんだけど!」
「あとでサイン、もらってあげるね」
景子は顔の前で手を合わせ、ペコペコと頭を下げながら頼み込んだ。

「で、それからどうなったんだ?」
「美桜と別れてからか?」
大喜(おおき)勝人は場末のホルモン屋で友人の定春(さだはる)と飲んでいた。換気扇が故障しているらしく、店内には煙と油のにおいが充満している。客たちが吸うタバコの煙がそこに溶け入った。
「情けない話だけど、美桜と別れてからの俺は廃人のようだったよ」
「お前らしくないな」定春が言う。
「もともと、そんなに強い人間じゃないさ」
昔を懐かしむように遠い目をしながら、勝人はグラスの底に残ったビールを飲み干した。
「気づいたら今の地下組織Mに入ってて、言われるがまま、悪事に手を染めてた」
「極悪非道の地下組織Mか──」定春は吐き捨てるように呟いた。「最近じゃ警察も、Mの取り締まりに本気を出してるって話だぜ」
「あぁ。前みたいに自由に悪さができなくなったよ」
「悪さ──ねぇ」
「そういや定春の妹って、何かの事件に巻き込まれたって言ってなかったっけ?」
定春が勝人の言葉に反応した瞬間、隣の席の中年が声をかけてきた。虚ろな表情と怪しげな呂律。かなり泥酔しているようだ。
「なあ、兄ちゃんたち、Mの人間かいな?」
どうやら二人の会話を盗み聞きしていたらしい。勝人は眉間に皺を寄せ、男を睨む。別組織との抗争の際に負った額の傷が歪む。
「おお、こわぁ。そんなに睨まんでもええがな。物騒な兄ちゃんたちやで」
男は怯えた素振りを見せながらも、因縁をつけ続けた。
「Mの人間は卑劣な悪さばっかりしよるからなぁ。人間のクズじゃ。世間から消えて欲しいわ。つい先日も、えらい若い女の子が──」
勝人は「黙れ!」と凄みながら腕を伸ばし、男の胸倉を掴んだ。間に挟まれた定春が勝人を制する。
「勝人っ! 放っとけよ、こんな酔っぱらい」男の胸倉から勝人の手を強引に引き剥がす。
「悪い。ついカッとなっちまって……」
「今日はこれぐらいにしておこう。お前も随分と酔ってるみたいだし」
「そうだな。そろそろ行こうか」財布を手に立ち上がる。
乱れた服を整えながらブツブツと文句を垂れる男を尻目に、勝人は店の大将に声をかけた。

「で、それからどうなったんですか?」
「何、嬉しそうな顔してんのよ!」
バーのカウンターに肘をつきながら、國山泉の話に聞き入る後輩スタイリストの千佳。泉から叱られても、ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべている。
「それからも何も、石原雫が急に現れて、私は番組を降板。収録の前日に急に告げられたんだよ。ありえないでしょ?」
「ザ・芸能界って感じですね」
「だから、なんでアンタ、そんなに嬉しそうなの? 殴ってやろうか?」
軽く悲鳴をあげながら、千佳はウエイターに追加のカクテルを注文した。
「ああいう成り上がりタレントって、気に食わないのよねぇ」
「裏で何かやってたりして。プロダクションの社長とデキちゃってる──とか、週刊誌でよく目にしますもんね」
千佳がカメラを向けるフリをすると、泉は焦ったようにそれを制した。
「私がどれだけ努力して、あの番組のアシスタントを勝ち取ったか。プロデューサーやディレクターにもバカにされながら、耐えに耐えてようやく掴んだポジションだからね。それを一瞬で横取りした石原雫は許せない!」
「殺したい?」
「殺したいっ!」
泉の隣でひとり静かに飲んでいた男が、急に声をかけてきた。
「協力、しようか?」
薄暗い照明が、男の額に刻まれた傷跡を照らし出す。どう見ても一般人とは思えない男の怪しい雰囲気に戸惑ったが、カクテルの酔いも手伝って、泉は男に寄り添った。
「殺して欲しい女がいるの」

「で、それからどうなったの?」病室を訪れた景子が心配そうに尋ねる。
「唇にチョコみたいなのついてるよ」
「ごめんごめん。面会時間まで、近くの喫茶店でパフェ食べてたから」
「ほんと、呑気だねぇ。こっちは殺されかけたっていうのに……」
「申し訳ない。そんでそんで?」
景子の天真爛漫さに触れ安心した美桜は、小声で話を続けた。
「先輩の國山泉さんから急に呼び出しがあってさぁ。芸能界の先輩だから断れないじゃん。それで二人でバーに行くことになったの」
「バー?」
「うん。すごく怪しい感じのバーで──イヤな予感はしたんだけど、そこまで行っといて帰りたいなんてさすがに言えないじゃない? それで渋々カウンターに座ったの」
「バカだねぇ。自分の身は自分で守らないと」母親の小言のような口調で景子が言う。
「泉さんは番組の前任アシスタントだから、いろいろとアドバイスしてくれるって言うし──お酒が出てくるまではすごく親身に話を聞いてくれてたんだけど、ウエイターがお酒を出した瞬間から、やたらと乾杯を焦ってた気がする」
「犯人は國山泉?」
「まさかぁ」かぶりを振る美桜。
「アンタに仕事を奪われて恨んでたとか」
「他にもたくさん仕事を持ってる人だからね。ひとつ仕事を失ったくらいじゃ動じないでしょ。で、促されるまま──」美桜はグラスを持ち上げ、口元に運ぶ仕草をした。
「記憶はそこまで。それからの記憶は一切ない。気づけば病院だった」
「めちゃくちゃ危ない話だね」
「ただ──」
「何?」
「カウンターの隅に、男の人がひとり居た気がする。どこか見覚えのあるような男だったんだ。誰なのかはわからなかったけど」
「真犯人の登場ッ!」景子の声が弾む。
「えらい楽しそうだね」
「美桜が無事だったから、安心しちゃったの」
二人は笑いながら、景子が差し入れに持ってきたリンゴを頬張った。

「で、それからどうなったんだよ?」
「まさか、タレントの石原雫ってのが、美桜だと思うわけないだろ?!」
勝人は声を荒げた。昼下がりの時間をまったりと過ごす純喫茶の客たちが、一斉に声に反応する。
「國山泉がターゲットを連れてバーに入ってきたとき、俺はカウンターの端っこに座ってたんだけど、なんだか見覚えのある女だなとは思ったんだ──」
「じゃあ、そこで計画は中止しろよ」
「バーの薄暗い照明だけじゃ、それが美桜だなんて認識できるわけないだろ」
まあな、と納得しながら定春はタバコに火をつけた。
「それにしても、美桜ちゃん、よく助かったな」
國山泉から依頼を受け、勝人はタレントの殺害を企てた。致死量の毒を盛ったカクテルを飲ませて殺す。体内に入ったあとは成分が消失する薬品だから、死体を解剖されても足はつかない。勝人がよく使う手口だった。
「毒の分量を間違ったんだよ」
「相変わらずバカだなお前!」定春は、勝人の頭を叩いた。「お前のバカのおかげで、美桜ちゃんは死なずに済んだわけだけど──」
「俺なんて、生きてる資格ないよ」コーヒーカップの持ち手を擦りながら、勝人は吐き捨てた。
「美桜は今、病院に入院してる。だから、連絡を取ってお見舞いに行こうと思ってる」
「美桜ちゃんはお前が犯人だってこと知らないんだろ?」
「ああ。知らない。だから、直接会って謝りたいんだ。許してもらえたら、ヨリを戻して欲しいってお願いするつもりだよ」
「まぁ、会えればいいけど──」
「──会えればいい? まぁ、そうだな。あまりにも都合が良すぎるよな」
勝人はスマートフォンの電話帳をめくりながら、美桜の電話番号がまだ残っているかどうか確かめた。

「米原美桜ちゃんって、犯罪事件の被害に遭ったんだよね? それからどうなっちゃったの?」
小狭いラーメン屋でズルズルと麺を啜る二人。椋(むくの)木(き)英治と、その友人の田中。椋木は店の奥に設置されたテレビを指差す。
「アレですよ、アレ。國山泉がアシスタントに復帰ですよ」
画面には甲高い声をあげながら、はしゃぐ國山泉の姿が映し出されていた。事件をきっかけに米原美桜は休業を宣言。人気が出始めていた矢先の休業だけに、周囲からは惜しむ声が挙がっていた。
「ただねぇ、あの事件は臭(にお)うんですよ」
「何が?」田中はスープを呑みながら興味津々な様子。
「國山泉には美桜ちゃんを憎む理由がある。ただし、アリバイはあった。じゃあ、誰かに依頼して美桜ちゃん殺害を企てたんじゃないかって。だから僕、徹底的に調べてみたんですよねぇ。あの事件について」
「何か分かったの?」
「ある男が、美桜ちゃん殺人未遂事件の犯人だったんですよ」
「ある男?」
「地下組織Mに所属する大喜勝人という人間です。そいつが今回の犯人なのですよ」眼鏡のフレームを軽く持ち上げる椋木。
「えらく詳しいな。探偵でも雇ったの?」
「いえいえ。インターネットで情報収集を続けていると、地下組織Mを目の敵(かたき)にする男と知り合いましてですねぇ。どうやら彼は、妹をMの輩(やから)に殺されたらしく、相当な恨みを持っているようで。それで僕に情報提供してくれたってわけ」
「やってること、探偵じゃん」
「探偵じゃないですよ。世直しです」椋木はラーメンの汁を一気に飲み干した。
「男の情報によると、今日、犯人の男が美桜ちゃんの病院を訪ねるそうなんです。なので、行って参ります」
「どこに?」
「病院ですよ。世直しです!」
椋木は大きくゲップをすると、財布を取り出し、腹をさすりながら小銭を数えはじめた。

「おいっ、大喜勝人!」
総合病院のだだっ広い中庭。椋木は男の背中に呼びかけた。男は振り向き、声の主を探す。椋木は小走りで大喜勝人のもとへと駆け寄り、そのまま体当たりした。もちろん、身体をぶつけただけじゃない。その身体には、椋木の持つナイフが深くめり込んでいた。
「お──お前」
「フフフン。いい気味ですね。天罰ですよ」
もたれかかってきた身体を支えることなく椋木が身をひるがえすと、大喜勝人はそのまま地面に倒れ込んだ。刺された脇腹に激痛が走っているのか、地面を掻くように悶えている。椋木は死にかけの昆虫のようにジタバタする大喜勝人の背中に向かって、口の中いっぱいに溜め込んだ唾を吐きかけた。
「社会のゴミ! 美桜ちゃんに酷いことしやがって! 消えろ! 消え失せろ!」
罵倒しながら何度も唾を浴びせかける椋木。その背後では、中庭に吹いた風が桜の木々を揺らす。ふんわりと舞った桜の花びらが一枚、大喜勝人の背中に舞い落ちた。

久しぶりの勝人からの電話。美桜の中には、償いきれない罪悪感があった。芸能界の知人を通じて、勝人が地下組織Mで悪事を続けていることは耳にしていた。彼をそんな風に変えてしまったのは私だ──と、美桜は罪の意識を感じていたし、後悔もしていた。
芸能プロダクションの社長から連絡を受けたあの日、人気番組のアシスタントに抜擢してやるからという甘い誘惑に負け、社長に身体を許した。社長は美桜の身体を欲しがるだけでなく、完全に美桜を支配するため、人間関係を断つよう迫ってきた。付き合っている男がいることを知った社長は激怒し、ベッドの上で美桜と愛し合う写真を勝人に送りつけ、美桜の口から別れを告げるよう指示した。
「全部、私が悪いんだ……」
美桜の気持ちを察したように、勝人から電話があったのが昨日。事件のことを聞きつけ、心配してお見舞いに来てくれると言う。身勝手な自分を自覚してはいるけれど、美桜はタレントを辞めることと、ヨリを戻したいという願いを、勝人に伝えるつもりだった。
いつも時間にルーズだった勝人。今日も予定から随分と遅れてる。それもなんだか懐かしい。美桜は病室の窓を開け、中庭の景色を眺める。今日の風は少し強く、桜の花びらがたくさん舞っていた。

ここだ──と、小さく呟いた。病室の入り口に掲げられた〈米原美桜〉のネームプレート。それを睨みつけ、手にしたナイフに力を込める。そして心の中で叫んだ──私から社長の愛を奪った女を許さない──と。
「殺してやる殺してやる殺してやる」
わら人形を打ちつけるように呟きながら、國山泉は病室へと足を踏み入れた。

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