悪いのは私?

彼はガレージの砂利の上で土下座し、泣き叫んだ。小石が突き刺さる膝頭には、痛みも走っているだろう。それでも彼は気にせず叫んだ。
「美桜! 捨てないで! 俺と別れないで! お願いです、お願いです、お願いです!」
職場の先輩から意識されていることは、少し前から気づいていた。彼と付き合っていたからそれに気づかないふりをしていたけれど、いつしか先輩のことが──。
「美桜と別れたら、俺は死ぬから」
彼の目つきが豹変した。消えてしまいそうなほど弱々しく潤んだ目が、一瞬にして狂気を帯びた。まるで怪物が憑依したように。
「ごめんなさい……もう付き合えない」
「わかった」
少しの沈黙もなく彼は答えた。あれほど私の気持ちを乞いながら縋っていた彼は、呆気ないひと言を残してその場を立ち去った。

「美桜の元カレ、自殺したらしいよ」
日曜日の昼下がり。同僚のアカリと買い物帰りにカフェに寄る。声を潜めながら耳元で話すアカリの言葉は、私を震え上がらせた。
「うそ?!」
「コウヘイ君から聞いたんだ。自宅のドアノブで首を吊って──」
「やめて!」
思わずアカリの話を遮ってしまった。あの日、別れ際に放たれた彼のひと言が鮮明に蘇り、胸が苦しくなったから。
「ごめんッ!」と、アカリに謝る。
「こっちこそ、なんかごめん。いくら元カレだからって、聞きたくないよね、そんな話」
「ううん。アカリは悪くないよ」
熱いコーヒーをひとくち啜り、カップの縁を紙ナプキンで拭き取る。
「それはそうと──ちょっと気になることがあってさぁ」
カバンからスマホを取り出しテーブルの上に置く。アプリを起動させ、一枚の写真をアカリに見せた。
「これなんだけど──」
彼と別れてから数日後、先輩から告白を受け、正式に私たちは付き合い始めた。最初は彼への情がまとわりついていたけれど、いつしかそれもなくなり、新しい恋愛に満たされていた。そんな矢先、テーマパークでのデートを映した一枚の写真にある違和感が。
指先で画面をなぞる。拡大された写真の中には、うっすらと男の姿が映し出されていた。
「ほら……」
「えっ、コワッ!」
手をつなぐ先輩と私の間に、亡霊のような男。錯覚かもしれないが、私にはそれが元カレに見えた。しかも、手には血に染まったナイフが握りしめられている。
「これって──美桜の元カレじゃない?」
「やっぱり。そう思う?」
「うん。間違いないって」
「私──取り憑かれてるのかな」
確かに私は彼を捨てた。でも、恋愛してる人間なら、時に誰かを傷つけてしまうことくらいあるだろう。よくある話だ。私は自分にそう言い聞かせた。

それからというもの、写真に映り込む怪奇現象は何度も続いた。先輩と二人で撮影した写真の中には、必ず彼が映り込んだ。怖ろしいことに、最初はうっすらと霞んでいたはずの姿が、日に日に色濃く映し出されていく。いつしか先輩も写真を不審がりはじめ、「これって美桜の元カレじゃないの?」と、嫌悪感をむき出しにした。
「違うよッ!」
ノイローゼ気味になっていた私は、そんな先輩の態度にまで苛立ちを覚え、写真の中の元カレの存在を激しく否定した。
「そんなに怒らなくても」
「私だって悩んでるのに、デリカシーのないこと言うから……」
「最近の美桜、なんか疲れてるよ。俺たち、ちょっと距離──置こうか?」
最低だ。精神的な疲れが一気に吹き出したのか、飲食店に居合わせた他の客の目をはばかることなく、大声で泣いた。

パンパンに目を腫らし帰宅。冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、勢いよくグラスに注ぐ。一息にそれを飲み干し、大きなため息をついた。ソファに身を沈め、ぼんやりと天井を見つめる。ちょっとしたシミも人の顔に見えるようになり、部屋のどこかでミシッと鳴るラップ音にもひどく怯えるようになった。
ひとりの空間があまりにも怖くて、つい誰かと繋がりたくなる。スマホを取り出しSNSにアクセス。友人たちの充実した生活がそこにはあって、眺めていると少し心が落ち着いた。
「投稿しちゃおっかな」ポツリと呟く。
これ以上ひとりで抱え込んでいたら、気持ちも身体ももたない。みんなにこの現状を知ってもらい、コメントをもらって気持ちを軽くしたかった。
スマホをインカメラにして自撮りする。ちょっとだけ加工し、『悪いのは私?』というメッセージを添えて投稿した。ちゃんと送信されたか投稿をチェックしたときだった、自撮りしたときには映っていなかった元カレの姿が背後に映し出されていた。それも鮮明に。まるでこの世に生きているかのように。
ゾッとして背後を振り返る。
「俺を捨てた罰だ」
そこには彼が立っていた。血走った目で私を睨みつけている。ナイフを握りしめたまま。
彼は私に覆いかぶさってきた。彼は私の耳元で──俺を捨てた罰だ──と、何度も繰り返した。あまりの恐怖に声がでない。力も入らず抵抗すらできなかった。私は絶望を感じながら死を覚悟した。

「写真撮ってもいいっすか?」
若いカップルが不動産会社の営業担当に尋ねる。
「ちゃんと物件の内覧で来られてるんですよね? それだったら構わないですけども」
カップルは部屋のあちこちで写真を撮り、いちいちそれをチェックしながらはしゃいでいる。
「これ、映ってんじゃね?」
「違うでしょ。もっとクッキリ映るらしいよ」
営業担当は苦い顔をしながらカップルに近づき、二人が手にするスマホを覗き込む。
「心霊スポット目当てですか?」
「あぁ、まぁ」
彼氏のほうが観念したように頭を下げる。
「確かに、この部屋は事故物件。写真を撮影すると、血まみれの女とナイフを持って笑う男が映り込むって有名ですからねぇ」
「やっぱり映るんだ!」
嬉しそうに声をあげるカップル。
「この部屋で自殺された女性のSNSの投稿は見られました? SNSからはもう削除されてますけど、インターネット上に拡散されてますからね」
カップルの男はスマホで検索した。表示された画像を見て、「これですか?」と、声を上ずらせた。
そこには、ナイフで首をかき切り、血まみれになった女の姿。そして、『悪いのは私』の投稿文が。
「それです。ほんと怖ろしい話ですねぇ──で、ご契約されるおつもりは?」
「あるわけないじゃないっすか、こんな部屋」

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