フリップゲーム

「飲んで帰ってくるときに、ご飯いらないって連絡してくれないところ!」

それは突如としてはじまった。まるで玉入れの結果発表のように、お互いの嫌いな理由を放り投げていくゲーム。
離婚の意思も固まった。だから最後はスッキリして終わろう。どちらからともなく出されたアイデアだった。
フリップに嫌いな理由を書いて発表する。なんとその数、108個。煩悩の数だけ出しちゃおうという企画。友達のような夫婦関係だった自分たちらしく、思いつきのアイデアに少しワクワクした。

「だからさぁ。得意先の人と飲んでる最中に連絡なんか──」
「もういい。言い訳は聞き飽きた。今日はそんな感じじゃないんでしょ。嫌いなところをブチまけるイベントでしょ?」
夫は──確かに──と、頷いた。
「じゃあ、次は俺だな。料理が下手なところ」
「ちょっと! 美味しいって言って食べてくれてたとき、あったじゃない!?」
「演技に決まってるだろ」
「ヒドい! 最低……」
「まぁいいじゃないか。お互い、そういった細かいことが積み重なった結果、こうやって離婚を決意するに至ったんだから」
そうね、と呟き、次のフリップを出す。
「疲れてるからって、話相手にすらなってくれないところ」
「だからぁ──じゃあ一日でもいいから俺の仕事を──」
「言い訳する日じゃない!」
「だな」
夫は次のフリップをめくった。

夫は中学時代の同級生。クラスでも目立つタイプで、私はずっと彼に憧れを抱いていた。クラスのみんなと仲良く、みんなに優しい。嫌なことがあっても、「すべて許そう!」と、自分が飲み込むことで調和を考える生徒だった。そんな夫が輝いて見えた。
そんな夫と再会したのは、大学卒業後に入社した広告代理店。私はデザイナー。彼は営業。部署は違ったけれど、同期メンバーで集まる機会が多かったので、すぐにお互いを認識した。
「もしかして、希絵?」
「神崎くん?」
「めっちゃキレイになったじゃん」
「ホント!?」
「彼氏、いるの?」
同期で三度目の飲み会。そんな会話がきっかけで付き合うことになった。
すぐに彼氏の存在を尋ねるあたり、チャラチャラした性格に感じるかもしれないけれど、中学時代の彼を知っている私は、別に違和感がなかった。なのに……。

「営業部の女とコソコソ会ったりしてるでしょ!」
夫の腹にフリップを押し付けた。苦笑いする夫。その顔を見ていると余計に腹が立ち、さらに強く押し込んだ。
「別に、ご飯くらい行ったっていいだろ?」
「何度かあなたのスマートフォンをチェックさせてもらいました」
「はぁ!?」
いつも明るくて優しいという、私が好きだった夫の魅力が、まさか他の女にも向けられていたなんて。
「好きだの、かわいいだの、歯が浮くような言葉の数々。結婚してるくせに、よくあんなことが言えるね。相手の女も女だよ」
「まぁ、コミュニケーションっていうか何っていうか」
「私と最初に会ったときと同じだよね。そうやって女の気持ちを取り込んでいこうとしてるんでしょ! 最低の男ッ!」
ますます腹が立ってきた。感情と声を荒げる自分に気づき、惨めにもなった。情けない。
「そこまで言うならさぁ──」
声のトーンが一気に変わった。もっさりとした動作で夫が次のフリップをめくる。神妙な彼の面持ちが、私の体温がみるみる下げ、次に何が起こるかを予感させた。

「ごめんなさい……」
長い長い沈黙の後、私が言ったひとこと。気づけば指が震えている。あと、涙が頬を伝ってゆく。
夫が出したフリップには、〈男と浮気したところ〉と書かれたいた。他のフリップよりも丁寧に書かれたその文字が、夫の覚悟を思わせた。心臓がおもちゃのように暴れる。握りつぶされそうで、むしり取られそうで。ただ黙るしかできなかった。
「──俺も、お前のスマホ、見たんだ」
「そうなんだ……」
「正直、めちゃくちゃショックだった。落ち込んだ。悲しかった。ふざけんなって思った。なんでだよって思った!」
キズを負った日のことが鮮明に思い出されたのか、夫は徐々に声を荒げ、手にしたフリップを壁に投げつけた。そして、泣いた。
「あの、あれは、ちょっとした──」
「今日は、言い訳する日じゃないんだろ!」

夫婦を続けてみて思った。相手のことを嫌いになる最初のきっかけは、すごく些細なものだ。でも、相手がきっかけを作ったんだからこっちだって、という気持ちが芽生える。相手もきっと同じ。だから、些細だったきっかけはどんどん膨れ上がり、最終的には修復不可能ところまで肥大化してしまう。
私が他の男と寝たのだって、きっかけは夫への不満だった気がする。それがいつしか──。
「ほんとに、ごめんなさい……」
「もういいよ。どうせ俺たち、もう終わっちゃうんだし」
陽気なテンションでスタートしたこのフリップゲーム。夫が放った爆弾、いや、私の大罪によって陰鬱なムードと化した。

せっかくだし残りのフリップも全部見せ合おうということになり、トランプを配るようにお互いの嫌いなところを発表していった。
イビキがうるさい。ガミガミ小言が多い。服を脱いだら脱ぎっぱなし。意味なく機嫌が悪いときがある。頼りがいがない。性格がおばさんっぽくなってきた。髪型が嫌い。化粧が濃い。口が臭い。香水が臭い。
私がしてしまった過ちに比べれば、どれもが可愛らしく思えた。ほんとに些細なことばかり。その場で言えばいいことを、溜め込んだ結果だ。
お互いの提案で、最後の一枚は同時に出そうということに。私も夫も、最後のフリップに手をかける。
掛け声とともに、フリップを出した。
『好きって言ってくれないところ』
奇跡が起きたと思った。まるで示し合わせたかのように、一言一句同じだった。
夫と顔を見合わせる。目を丸くし、口は半開き。そんな夫の表情が一瞬にして凛々しさを帯びた。
「なぁ、俺たちやり直さないか?」
「え? でも──」
「浮気のことは仕方がない。ほんとはめちゃくちゃイヤだけど。もう絶対にしないって誓って欲しい。それだけ約束して欲しい」
言い終えると夫の表情が柔らかくなった。そして、両方の拳を握りしめると、満面の笑みを浮かべた。まるであの頃のように。
「すべて許そう!」
夫の顔をじっと見つめる。そういえば、中学時代と何も変わっていない。いつまでもあの日のまま。私が憧れを抱いたあの日のまま。変わったのは私のほうだったのかも。

散らかったフリップを二人並んで拾う。文字が書かれていない面を上にして重ねていく。真っ白なフリップたち。夫の手を止め、呟いてみた。
「お互いの嫌いな理由が白紙になっていくね」

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