なぜだか きみのほっぺが 赤

カナコは泣き腫らした目を真っ赤にした。涙が止まらず、何度も目をこする。その目はさらに真っ赤になった。
隣でふざけていたカンタは、その様子を見てコトの重大さに気づいたのか、ばつの悪い表情で突っ立っている。
「知らねえし」
やがてカンタは友だちのあとを追うように、その場から立ち去った。無残にちぎられた紙切れを握りしめたカナコを、ひとりぼっちにしたまま。

「カナコの家って、なんでお父さんもお母さんもいねぇの?」
隣の席からカンタが覗き込んできた。
「お父さん、いるし──」
「お前のお父さんなんか、誰も見たことないって言ってるぜ」
「仕事が忙しいからね」
「なぁなぁ。お前って、おばあちゃんから生まれてきたんじゃねぇの?」
消しゴムのカスをカナコに投げながら、クラスメイトに聞こえるように大声で叫ぶ。カナコは目を伏せて聞かないフリをした。

小学校に入学してすぐの頃、カナコの両親は離婚した。母には他に好きな人がいたと、親戚の誰かが言っていたのを耳にしたことがある。
酒に酔って帰宅する母を、父が怒ることはなかったそうだ。幼い記憶の中に浮かぶのは、酔った母が陽気に叫び散らす姿。黙ったままグラスにビールを注ぎ、ただただ飲み続けていた父の姿。
それでもカナコは母が家にいる間は、ピタッとそばにくっついていた。いつか自分の前からいなくなってしまうのを予感していたように。

「カナコだ!」
男子たちの声が後ろで聞こえた。
「誰もいない家に帰るんだぜ、あいつ」
「今日もご飯はコンビニ弁当ですかー?」
カンタの大きな声も混じっている。近所に響き渡るその声。恥ずかしさに耐えきれなくなり、気づけば急ぎ足になっていた。
「待てよ!」
男子たちのランドセルがガサガサと揺れる音。運動靴がアスファルトを蹴る音。それを感じ取ったカナコは全力で走った。はやく家に帰りたい。家に帰って、ひとりになりたい。願いも虚しく、カナコは男子たちに追いつかれてしまった。

「持ち物検査をはじめまーす!」
敬礼のポーズをしながら、カンタが近づいてくる。すると突然、カナコのランドセルを強引に奪い取り、中身を路上にぶちまけた。
「やめて!」
制止しようとするカナコを他の男子が羽交い締めにした。クラスの中で一番背の高い男子の力は強く、もがいたところでビクともしなかった。
「カナコの使ってる鉛筆って、ぜんぶ短いよな? 新品買ってもらえねぇの?」カンタがからかう。
「一番短いこの鉛筆は、俺が没収しまーす」
そう言うと、カンタは削り過ぎて短くなったカナコの鉛筆を、自分のポケットにしまいこんだ。
「ん? なんだこれ?」
カンタが拾い上げたのは、本のしおりだった。実際は、画用紙をしおりの形に切り取っただけの、ただの紙切れ。
「それはやめて!」
カナコは涙を浮かべながら叫ぶ。
「こういう意味の分からないものを学校に持ち込んじゃダメなので、これは破っちゃいまーす」
しおりを破るカンタ。悲鳴にも似た声をあげるカナコ。悲痛な声で叫び続けるカナコに圧倒されたのか、羽交い締めにしていた男子はその手を離した。
カナコが詰め寄ると、カンタは身を引っ込めた。しかし、カナコの目的はカンタではなく、ビリビリに割かれたしおりだった。
アスファルトの上に散らばったしおりの紙片を拾い上げる。姿形を変えたしおりを見ていると、大粒の涙が溢れ出した。
「こいつ、紙切れ見て泣いてやがるぜ!」
頬をつたう涙は手のひらの上に落ち、しおりをびしょびしょに濡らした。
その様子を見ていた他の男子たちは、いたたまれなくなり、その場を立ち去った。
「お前ら、ちょっと待てよ!」
カンタは逃げそびれ、その場に居残った。重苦しい空気に耐えられなくなったカンタは、カナコをからかうことしかできなかった。

「お前、カナコに恨みでもあるのか?」
担任の教師はカンタに尋ねた。
「今日はカナコのお父さんに出てきてもらうから、ちゃんと謝るんだぞ」
無言のまま歩くカンタ。その足取りは重かった。
インターフォンを鳴らすと、玄関に明かりが灯り、中から温厚そうな男性が姿を現した。
「すみません。わざわざお越しいただいて」
カナコの父と思われるその男性は、深々とお辞儀をした。
「こちらこそ、ウチの生徒がカナコさんにご迷惑をおかけいたしまして──」
教師が頭を下げる。気まずさに口をすぼめるだけのカンタ。教師の手がカンタの頭に添えられ、お辞儀を促すように力が込められた。
それを見たカナコの父は、玄関を振り返り、「おーい。カナコー? 先生と友だちが謝りに来てくれてるぞー。出てきなさーい」と声を張り上げた。
しばらくしてカナコが現れた。モジモジしながら、父親の陰に身を潜める。
「この子もちょっとショックを受けたみたいなんです」
カナコの父は話し始めた。
「妻がまだこの家にいた頃に、この子に作ってやった本のしおりでしてね。読書が好きなこの子のためにって。まぁ、適当に画用紙を切っただけのしおりだったんですけど、この子にとっては母親の思い出だったもんですから」
カンタは胸が痛んだ。あんな紙切れに、そんな大切な思い出が詰まっているなんて気づくわけがない。
それを聞いた教師は怒気を含み、カンタに問いかけた。
「なんでそんなバカなことをしたんだ?」
カンタはじっと足元を見つめている。
「おい、聞いてるのか? ちゃんと答えなさい!」
「先生、まぁ、いいじゃないですか。彼も反省してるみたいだし」
カンタは胸の痛みに耐えられなくなった。母親との思い出を奪ってしまった罪悪感。足元に落ちる涙の粒。罪の意識に押し潰されそうになったその瞬間、気づけば大声で叫んでいた。
「僕、カナコさんのことが、好きなんです!」
叫び終えると、カンタはせきを切ったように泣き出した。それは情けないくらい惨めな泣きっぷりだった。止まらない嗚咽。小刻みに震える身体。その場にいる誰もが予想しなかった告白をしてしまった恥ずかしさに、逃げ出したくなった。
涙で霞む視界の先では、カナコの父が微笑んでいる。見上げると教師は苦笑い。運動靴に落ちる涙の粒。
恐る恐るカナコの顔に目をやると、そこには真っ赤なほっぺ。さくらんぼのように染まっている。なんでカナコは頬を赤くしているのだろう。
カナコのその表情を見たカンタは、再び恥ずかしさに襲われ、さらに大きな声をあげて泣いた。

「なぁなぁ、カナコ?」
「ん?」
「お前の友だちになってやろうか?」
好きにすれば、と言いたげな表情のカナコ。
「お前の家に遊びに行ってやってもいいぜ」
「じゃあ、今度ね」
カナコは笑う。
「あっ、そうだ!」
カンタは思い出したようにランドセルの中に手を突っ込んだ。
「これ。プレゼント」
カンタが差し出したのは、赤いしおりだった。
急なプレゼントに目を丸くするカナコ。照れ隠しのために、それを強引に突き出すカンタ。
「──ありがと」
しおりを受け取ると、カナコはランドセルから本を取り出し、適当なページの間に挟み込んだ。
「何の本読んでるの?」
カナコは笑いながら答えた。
「ひみつだよ。今度、家に遊びに来たら教えてあげる」
「ケチッ!」
いつもと変わらない始業のベルが鳴る。教室のドアが開き、生徒たちが身を正す。カナコの横顔から教壇の黒板へと移るカンタの視線は、いつまでも名残惜しそうだった。

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