午前3時の銀河鉄道

「僕と一緒に逃げよう」
僕が君にそう声をかけたのは、僕が僕から逃げ出したかったからかもしれない。

午前3時には、真っ暗闇の夜が一瞬だけ、まるで昼間のように輝く瞬間があるんだ。
「知ってる?」
僕が君にそう尋ねると、君は首を横に振った。
「じゃあ、一緒に見に行こう」
そうして僕らは夜の扉を開けた。君は僕の自転車の荷台に乗り、僕はタイヤの空気が減りやたらと重くなったペダルを無心でこいだ。
人がひとりも見当たらない商店街は、シャッターばかりが並び、まるで牢屋みたいだった。ギシギシと軋む自転車の音がアーケードに反響する。僕らはふたりで河川敷を目指した。
僕にとっては見慣れた川面の煌き。君にとっては初めて見る川面の煌き。僕らは除草されずに残った草の上に腰を下ろし、背伸びして買ったブラックの缶コーヒーを飲んだ。濡れてもいない草の上は、なぜだか少しひんやりした。

君は僕に打ち明けてくれた。おとうさんを殺してしまったことを。君は君の正義に忠実に動いたという。それは自分を守るためじゃなく、自分じゃない誰かを守るためだったと、君は瞳に涙を浮かべながら訴えた。
「君は悪くない」
そう言うと君は、悪いのは僕だ──と呟いた。消え入りそうな声で。
川を挟んでこちら側は住宅街。夜の闇にすっぽりと包まれ、まるで人が消えたゴーストタウンのようだ。川の向こう側にはネオンがひしめく繁華街。人工の電飾が川面に反射し、ゆらゆらと揺れる。
「午前3時にはね、あの線路の上を貨物列車が走り抜けるんだ。真っ暗で線路すらはっきりと見えないだろ。だから、貨物列車がまるで銀河鉄道みたいに見えるんだ」
楽しみだね──君は声を弾ませた。それを聞くと僕も嬉しくなった。
「でね、貨物列車のライトが闇を切り裂くんだ。そうするとね、真っ暗だった空が一瞬だけ、昼間みたいに輝くのさ」
君は何度も川に小石を投げた。その度に川面には小さな波紋が浮かび上がる。ネオンの反射が波紋を染め上げるのを眺めていると、それは彼だけが使える魔法のように思えた。
「どこに逃げようか」
君は黙ったまま手探りで足元の小石を探す。僕らにはお金はない。電話も時計も武器もない。そんな僕らに行ける場所なんてあるのだろうか。
誰もいない場所がいいな──君は言った。何の根拠もないまま、「よし。わかった」と返事をする。君と二人ならどこまでも行けそうな気がしたから。

僕の母は夜の仕事を終えると、決まって午前3時に帰宅した。お酒に酔った母の醜態を見るのも嫌だったし、毎回違う男を連れて帰ってくるのも嫌だった。
母は帰るなりいつも、僕の名前を大声で叫び僕を起こした。僕は起き上がると、母にも男にも目を合わさずに会釈する。母は僕の手を取り、一番奥の部屋へと連れていく。勢いよくドアが閉められると、外から鍵をかけられた。僕に見られたくないことを二人でするためだ。
仕事のない日の母を家の中で見かけることはなかった。何をしているのかも知らない。きっと外で男と会っているんだろう。そんな日は僕に許された束の間の平穏だった。
僕はいつしか午前3時を呪うようになった。母の帰宅時間が迫ると家から飛び出し、河川敷に向かって自転車をこぐ。ひとりぼっちのほうが、誰かに優しくされているみたいで、僕はこの場所が大好きだった。
君はシアワセ?──君が唐突に僕に尋ねた。僕は、「シアワセってなんだろうね?」と、空に向かって呟いた。

「きっともうすぐ列車が来る」
黒よりもさらに濃い真夜中の闇は、古ぼけた線路など簡単に飲み込んでしまう。僕と君は身体の向きを変え、見えない線路を眺めた。
楽しみだね──君はまたそう言った。
遠くから列車が迫る音が聞こえる。僕と君は立ち上がり手をつないだ。間もなくやってくる銀河鉄道に胸を弾ませた。君の手が少し汗ばむ。きっと興奮しているんだろう。どんどんと近づく列車の音。
「ふたりで誰もいない場所まで行こうね」
僕は君の手を強く握る。君がそれを握り返す。僕たちは確かにこの瞬間を生きている。誰からも必要とされない人間なんかじゃない。
銀河鉄道が姿を現した。強烈なライトが闇を切り裂く。その光の輪郭は瞬く間に広がり、夢を食う獏のように闇を吸い込んで行く。
どんどんと明るくなる視界。夢の中に引きずり込まれてしまいそうだ。すべてを照らせ、銀河鉄道!
世界が昼間みたいに輝いた瞬間だった。ライトの明かりを背に受けたいくつもの真っ黒い人影。蠢くその人影たちは何かを叫びながら僕らのほうに迫ってきた。それは警察官だった。
奴らは圧倒的な力で僕と君を引き剥がした。僕は喉がちぎれるほど叫びながら奴らの太ももを蹴った。僕が奴らをやっつけないと、君が連れて行かれるような気がしたから。
奴らは暴れる僕を草の上に倒した。もはや身動きは取れない。それでも僕は諦めなかった。君を守ることを。
脳裏に優しかった頃の母の笑顔が浮かんだ。いつでも僕のことを褒めてくれた、誰よりも優しくて、大好きだった僕のおかあさん。どうして世界は僕からすべてを奪ってしまうのだろうか。
案の定、君は奴らに抱きかかえられ、どこかへと連れられてしまった。
世界が昼間みたいになった瞬間に、君が僕の耳元で言った──ごめんね、という言葉を僕は一生忘れないだろう。
銀河鉄道は素知らぬ顔で走り抜け、辺りはすっかり元の闇。何事もなかったように川面は揺れ続ける。僕の手には君のぬくもりがまだ残っていた。

あの日から、君の席はあいたまま。その後、君がどうなったのか、先生も教えてくれない。君だけが消えた教室は、君のいない風景を日常にした。
あの日、君は僕に打ち明けてくれた。おとうさんを殺してしまったこと。君のおとうさんが僕の母に言い寄っていたこと。僕の母の服を脱がせ、覆いかぶさろうとするのを見た直後、気づけばナイフを突き立てていたこと。
君は君を守るためじゃなくて、僕のことを守ろうとしてくれたんだね。
「シアワセってなんだろうね?」
僕にとってのシアワセは、君と一緒に午前3時の銀河鉄道を見られたことなのかもしれない。

GuX^ V[gV[giJ