ビネガー・アバンチュール

「早苗クン、今日も美味しいお茶をありがとう」
自席に座り、ズルズルと音をたててお茶を飲む部長の杉田。杉田にお茶を入れるのは、早苗の日課だ。今日も変わらず、お茶を出す。ただ、いつもと違っているのは、そのお茶には、あるお酢が入っているということ。

早苗は先日、胡散臭い古物商から、お酢を買った。お酢といえば、酢酸やクエン酸といった有機成分により身体が柔らかくなるとされているが、そのお酢にはなんと、心を柔らかくする成分が入っているらしい。厳格な性格や、意固地な性格、頑固な性格から尖った性格まで、すっかり柔らかくしてしまい、人となりを変えてしまうそうだ。早苗はその成分が入ったお酢に興味を持ち、古物商からそのお酢を買った。

これで計画は上手く行くわ。

早苗はかれこれ三年半、杉田の元で、経理事務として勤務している。
杉田ときたら、社員の大半から陰口をたたかれるほど、性根の歪んだ人物として有名である。
目上の人間に対しては、鼻につくほどのあからさまな太鼓持ち、それでいて、立場が下の人間と見るやいなや、嫌味は言うは、文句は言うわ、絵に描いたようなダメ上司なのだ。
自分の保身のことばかりを考え、重要なタスクは早苗には一切といっていいほど譲らず、上層部に対しての手柄のアピールも、目に余る。

杉田が、かたくなに手放さない業務、それが、金庫の管理。

早苗は知っていた。その金庫では、大量の現金が管理されている。そして、その金庫の管理業務を、杉田は絶対に手放そうとしない。頑なに自分が管理するといって固持し続けている。
そこで早苗が思いついた策が、そのお酢を杉田に飲ませ、頑なな態度を柔和させ、早苗に金庫の管理を任させるというもの。ただ、それだけじゃない。

金庫の中の現金を奪ってやる。

早苗は交際中のYとその策を考えつき、大量の現金を奪おうと企んだのだ。

「部長、私も業務に慣れてきた頃ですし、そろそろ責任ある仕事、任せてもらえないでしょうか?例えば、後ろの金庫の管理なんか」
自分の成長と会社への貢献を匂わせるように、早苗は杉田に直訴した。
「そうだな、早苗クン。君ももう勤めてずいぶん経つし、まぁいいだろう。これは重要な仕事だから、管理を怠ることのないように、よろしく頼むよ」

わぉ!あのお酢、ほんとに効果があるんだ!あんなに頑なだった部長の性格をも柔らかくしちゃった。ありがとう、古物商のおじさん。

心の中でほくそ笑みながら、早苗は杉田から、金庫の鍵を預かった。杉田は上機嫌に、鍵を手渡し、残りのお茶を飲みほした。目の前の部下に、金庫の現金を盗まれるとも知らずに。

その夜、早苗は会社のセキュリティを解除し、朝に杉田から預かった鍵を使い、金庫を開けた。知ってはいたが、中には、一生かかっても使い切れないほどの現金。これさえあれば、一生遊んで暮らせる。彼と海外に高飛びして、優雅に暮らすわ。

早苗は大量の現金を持ち出し、車に詰め込み、Yと同棲するマンションへと帰ってきた。早速、Yとともにこの部屋を出て、空港へと移動し、海外へ。そんな計画を思い浮かべるだけで、表情が緩んでくる。

ドアを閉め、鍵とチェーンをしっかりと施錠し、リビングへと向かう。Yは丸テーブルに腰掛け、早苗を待っていた。この現金を見せたら、喜ぶだろうなぁ。一直線にYの方へ駆け寄り、早苗は勢いよく抱きついた。強く抱きしめ、首元に何度も何度もキスをした。
「ねぇ!すべて計画通り!お酢の効果はバッチリ。鍵も手に入れ、無事、現金も手に入れられたわ!これで海外へ行けるわね!」
満面の笑みを浮かべた表情でYにそう伝える早苗。すると、
「早苗、何を言ってるんだよ。そんなバカな真似して。イケないことだと分かってるだろ?今すぐその現金を金庫に返しておいで」
「何を言ってるのよ?この計画は最初にあなたが企てたんじゃない!何よ、今さら」
「だから、犯罪はダメだって。そんなことしちゃいけないよ。今すぐ返しておいで」

早苗は何が起こったのかさっぱり分からず、狐につままれたような気分になり、目の前が真っ暗になった。口をぽかんと開け、Yの顔を呆然と見つめる。早苗はYの危険な香りに惚れたのだ。その尖った性格、はみ出し者の生き方に惹かれ、ここまで寄り添ってきたのだ。なのになぜ?Yの発案で、この計画を企てたはずなのに、なぜ今になって、そんなことを言うの?意味が分からない…。

早苗は、ふと、丸テーブルの上に目をやった。そこには、見覚えのある瓶が。え?お酢?なんでここにあるの?あのお酢が、なんでここにあるのよ?

余計に事態が飲み込めずにパニックになる早苗。混乱で手足が冷たくなってきた。
なんで、あのお酢がここにあるのか分からないけど、どうやら彼はお酢を飲んでしまったんだわ…。あんなに尖った性格だった彼が、こんなにも丸くなってしまうなんて。しゃべりかたも表情も、すべて穏やかになってしまってるもの。どういう理由かは分からないけど、お酢を飲んでしまったのは間違いない。だから、犯罪がダメだなんて、そんなおかしなことを言い出すんだ。これまで散々、危ないことしてきたクセに。

穏やかな表情を浮かべ、優しく諭すように見つめてくるYの足元に、早苗はガックリと跪いた。せっかくの計画もすべて水の泡になってしまい、今まで愛していた彼も、すっかりその魅力を失い、柔らかい人間になってしまって、もうどうすればいいの。悲哀と絶望に伏す早苗。跪きフローリングに目を落とした瞬間、早苗の目に一通の封筒が飛び込んできた。

それは、宅配便の送り状。

[差出人] 杉田毅
[届け先] 木下早苗
[内容物] お酢

杉田がお酢を私に?間違って彼がお酢を飲んでしまったけれど、本来は、杉田は私にお酢を送りつけたんだ…。杉田のヤツ、私にお酢を飲ませ、言うことを聞かせて、いったい何を企んでいたんだろう…。

翌日、動揺を隠しながらも、素知らぬ顔をして出社した早苗に近づき、耳元で杉田はこう囁いた。

「おはよう早苗クン。金庫の中の現金を二人で持ち出して、一緒に海外で暮らさないか?」

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