September Dream

今日で、九月が終わる。
美咲とは今日で会えなくなる。永遠に会えなくなる。なぜその運命は美咲を選んだのだろうか。美咲とは今日で永遠に会えなくなる。永遠に。

僕は美咲との最後の日に、Aという港町で会うことにした。理由は特にない。ただなんとなく、その町で最後の思い出を作りたかったからだ。ただそれだけ。

Aへと向かうシステム路線に乗り、二人は特に話をするでもなく、電車の揺れに身を任せた。窓の外、眼下に連なる町並みを見下ろしたり、車内のカップルの寄り添い微笑み合う姿を眺めたり、吊り革を持つ手を変えてみたり、そんな何気ない時を過ごしながら、目的の駅に降り立った。

港町に吹く風は、九月の気候をいっそう過ごしやすく感じさせた。暑くもなく寒くもなく、ゆっくりと吹く潮風を、髪や頬に感じながら、町を縦断する歩道を無言で歩いた。

以前Aを訪れたのはいつだったろうか。景色がすっかり変わってしまっていることに気づき、町に着くなり僕は、少し目を疑った。
当初よりこの町は、都市を発展させるための構想が計画されていたのかもしれない。駅周辺の人口運河、遠くに見える商業施設やオフィス、川沿いの大学など、川を起点に、まるで幹から伸びる枝のように裾野を拡げ、発展している雰囲気がうかがえる。

僕と美咲は、静かに川沿いへと降り立った。

川沿いの歩道を照らすように、等間隔に電燈が設置されており、また左右を見上げると、高級マンションに住まう人々の息づかいを示す窓の明かりが空を染め、そこはまるで、クリスマスのイルミネーションへと誘うアプローチを思わせた。川沿いには小高く緑が生い茂り、九月の虫たちが、耳の奥に、優しく響く鳴き声を届かせていた。

僕らは無言で、手をつなぎ、歩いた。

電飾に導かれて歩いているのか、それとも僕らの歩く轍に灯りが落ちて行くのか、優しい光に包まれながら、ひと気のない川沿いをどこまでも歩いた。

川を横切る高架を何本か通り過ぎた頃、パッと眼前に、まばゆい光が飛び込んできた。
右手には、暗闇の中でひときわ力強く光を放つ、雄大なチャペルが立ち、前方には、色とりどりのイルミネーションに包まれた商業施設。左手には、名の知れた高級ホテルの電飾。眩しいくらいに輝く、それらの灯りが、夜の闇に広がった。それはまるで、川面の蛍がそれぞれの自由な意思を持ち寄って、一斉に舞い上がった瞬間のように、どこまでも柔らかく、光が連呼するかのように視界を埋め尽くした。

それはそれは、異国のよう。光たちの会話が、秋の虫の鳴き声を包み込み、静寂に賑やかさを連れてきた。僕らは光に照らされているわけでもなく、光に染められているわけでもなく、まるで子どもが綿毛を逃がすまいと、両の手で包み込むように、そっと、そっと、輝きは僕らに優しく被さった。

ここは、まるで知らない町だ。僕の知らない町だ。もしかしたら、九月の最後、今日だけに用意された、そんな特別な町なのかもしれない。ここはすぐに消えてなくなってしまう町なのかもしれない。一瞬の輝きに心を奪われ、消え行くさまに寂しさを誘う、まるで花火のように、今日だけ輝く町なのかもしれない。

ぼんやりとそんなことを考えながら、僕は足元の小さな石ころを蹴っ飛ばした。歩道に不自然に落ちた石ころは、コロコロと前方へと転がり、何事もなかったかのように、勢いを失いピタリと止まった。

その夜、僕は美咲と、やり残すことがないよう、思い残すことがないように、でも、尽きることない望みの全てを叶えることなんて到底できやしないことを知りながらも、まるで子どものようにはしゃいで遊んだ。
こんなにも笑う美咲を見るのは初めてかもしれない。電飾に照らされたオブジェの下で写真を撮り合ったり、パノラマに広がる夜景を望みながら少し背伸びしたディナーを味わったり、観覧者に乗ったり、閉館間際の商業施設を歩いたり、水面に落ちた葉が創る優しい水の波紋を眺めたり、手をつなぎ、腹を抱えて笑い、触れ合った。

よりいっそうの闇が辺りを包み込むころ、僕らは往きと同じ川沿いを、元来た駅へと向かった。再び無言で二人、少し色の濃くなった川面を眺めながら、同じペースで、呼吸を合わせるように歩いた。踏みしめる靴の底が、歩道に生える草を鳴らし、さっきより少し冷たくなった夜風を頬に受けながら歩いた。

「また、会おうね」

美咲はポツリ、こちらを向くでもなく、会話をはじめるでもなく、ふいに小さく呟いた。
美咲とはもう永遠に会えないことは分かっている。それは彼女が一番良く知っているはずだ。なのになぜ。美咲には、もう会えないのに…。

十月が始まった。
僕はひとり、昨日と同じように、港町に向かっている。ただ何気なく、もう一度あの空間に包まれてみたかったからだ。感傷に浸りたいわけでもない。悲しみをぶつけたいわけでもない。ただ、あの川沿いをもう一度、歩いてみたかったから。

昨日と同じ時間、同じ駅で降り、同じ道を辿ってきたにも関わらず、僕の目の前には、もうあの光景はなかった。歩道を照らす電燈の灯りも、マンションが染める窓からの明かりも。聞こえるのはただ、小高い緑の中から、所在なく鳴く虫たちの声だけ。

やっぱり、あの日だけだったんだ。思った通りだ。もう電飾も何もない。柔らかく包む輝きもない。僕らを導いてくれる光は、もうない。でも、これでよかったんだ。そんな気がしてたし、あの光は、僕ひとりで感じるものじゃない。これでよかったんだ。なにもかも。

ふと前方を見ると、あの日、石ころを蹴っ飛ばした辺りに、小さな光を見つけた。何もない、草だけが生い茂る道の上に、キラリと光る輝き。それは周りの景色からは不似合で、少し歪なくらいに煌々とした光を放っていた。

僕は光に近づき、右手でそれを拾い上げた。
指輪だ。
あの夜、蹴っ飛ばしたのは、確かに石ころだったはずなのに。あれは決して指輪なんかじゃなかったのに。こんな不思議なことがあるものだろうか。僕はその指輪を、まるで、一夜限りのパレードの忘れ物のように、愛おしく眺めた。すると、

「見つけてくれてありがとうございます」

右手のチャペルから飛び出してきたのだろうか、息を弾ませこちらにやってきた花嫁が、僕にそう言った。白い肌と純白のウエディングドレスが、闇の中を仄白く染めている。
僕は拾い上げた指輪を花嫁に手渡し、かすかに微笑み会釈した。それを受け取った花嫁は、安心した顔でニコリとこちらに笑いかけ、振りむき、急いでチャペルへと引き返して行った。ゆらめくように動くウエディングドレスの白が、川沿いの闇の中に、ひとすじの光線を作り、小高い丘に立つチャペルへと昇るその光のすじは、まるで銀河鉄道を流れる列車のように、静かに闇の奥へと吸い込まれていった。

月日は流れ、あの夜チャペルで挙式したカップルは、幸せに満ちた日々を過ごしていた。
「ねぇねぇ、あなた、赤ちゃんの性別がわかったわよ」
こぼれんばかりの喜びの表情で話す、あの日の花嫁。
「で、どっちなんだい?」
「女の子よ」
「女の子なら、お前が決めた名前に決定だな」
「えぇ、そうね。美咲に決まりね」

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