100 Seconds

たった100秒しか許されていないのに──。

あかりは運命を呪った。なんでこのタイミングで? まさか自分の運命を二度も呪うことになるとは思ってもみなかった。
踏切遮断機が降り、無情にも目の前の景色を電車が遮った。列車の接近を知らせる赤いランプは、下り電車の通過も予告している。
あかりは祈るように胸に手を当て、何度も地面を踏みつけた。
電車が走り去り、轟音が風に吸い込まれる。モタモタと上がる遮断機。蒼汰の姿はもうそこにはなく、踏切の向こうには街の景色がただ広がっているだけ。
──奇跡は終わってしまったの?

夏から一緒に暮らそうと決めた矢先の出来事だった。蒼汰は飲酒運転の車にはねられ命を落とした。
急な残業が入り、会うはずだった約束を急遽キャンセルした金曜日。次の日はお互い休みだから、今日は我慢しようと慰め合った。
帰宅後、何度電話してもつながらないことに不安を感じていると、蒼汰の母から折り返しの電話が鳴った。陽気な性格の蒼汰の母。聞き取れないほどにか細く、沈んだその声色が最悪の事態を予感させた。
かけつけた病院のベッドの上。蒼汰が眠っている。二度と目覚めない眠り。姿形は何ひとつ変わらないのに、命だけがそこにはなかった。
誰よりも温かい蒼汰の手が大好きだった。触れてみるとそれはあまりにも冷たく、その瞬間に涙が溢れ出した。嗚咽は叫びに変わり、あかりは獣の咆哮のように号泣した。

「お嬢さん。悲しい出来事でもあったようだねぇ」
あの日からあかりの心はこの世界にはない。まるで去年の日めくりカレンダーをめくるように、意味のない毎日を過ごした。仕事帰りにコンビニでアルコールを買うのが日課になり、帰宅途中にそれを飲み干した。
商店街のアーケードを抜けたところで、その声に呼び止められた。視線を移すと、街頭占いの老婆が、怪しい笑みを浮かべながら手招きしている。
「大切な人に会いたいかい?」
「え?」
鬱屈した気持ちを真正面から射抜かれたようで、心臓が収縮した。
「アンタ、大切な人を亡くしたんだろ?」
「なんでわかるんですか?」
「そりゃあ、占い師だからさ」
あかりは衝動を抑えきれず、「亡くなった彼に会いたいです」と口走っていた。
「会わせてやろう」
そう言うと老婆は、足元から白く濁った水晶玉を取り出し、優しくそれを撫でながら何かを唱えはじめた。
「今から一週間後の午前十時。S駅の南側の踏切の前に立ってみな。そこに彼が現れる」
「そんなことあるわけが──」
「疑うなら行かなきゃいいだけさ。ただし、彼に会えるのは100秒だけだからね。それでもいいなら、行っておいで」
あかりは大きく唾を飲み込んだ。

電車が過ぎ去った踏切には、元の静けさが戻ってきた。孤独と虚しさに襲われ、涙が溢れ出す。
足元に涙が落ちるのを見た瞬間だった。背後から包み込まれるような衝撃。
「ごめんな……」
蒼汰の声。いつもすぐ近くにあった声。
「ひとりぼっちにさせて、ごめん」
根雪を溶かすような温かいその声で、あかりの心は一気に熱を帯びた。
「電車が通り過ぎるの待ってる間に、100秒が終わっちゃうかと思った……」
「相手の身体に触れてから100秒間、二人きりでいられる魔法なんだろ」
「えっ?」
そう言えば別れ際に、老婆から聞かされていたのかもしれない。蒼汰に会える期待に胸が膨らみ過ぎて、細かい説明を聞き逃していたのだろう。
「そんなの、冷静に覚えてるわけないじゃない。だって、蒼汰に会えることが──」
言いかけたあかりを制するように、蒼汰の腕があかりの身体を振り向かせた。
「よう!」
そこにはいつもどおりの蒼汰の笑顔。あかりが何よりも安心する愛おしい表情。触れられる距離にそれがある。
「100秒間。どうやって過ごそうか」
「ずっと抱きしめていて欲しい──」
「了解」
そう言うと、蒼汰はあかりを抱き寄せ、包み込んだ。あかりはその胸に顔を埋め、運命にすがるように泣いた。
──このまま、時間、止まって!
蒼汰との楽しかった思い出が、まぶたの裏に蘇る。
はじめてのデートは遊園地。お気に入りの水族館には何度も行った。二人のデートは雨の日が多かった気がする。手をつなぎ、ただしゃべりながら近所を散歩することも多かった。星空を見上げる横顔。車を運転する横顔。将来を熱く語る横顔。それを隣で眺めていられるのが嬉しかった。
蒼汰の匂いと体温を確かめながら、二度と戻らない日々を回想した。
「そろそろ行かなきゃ──」
踏切の警報音が鳴り、蒼汰の腕から力が抜ける。
「いやっ!」
あかりは叫びながら蒼汰の袖を強く引っ張った。服がちぎれそうなほど強く。それを振り払いながら、「仕方ないんだ……」と、蒼汰は苦笑いする。
降りはじめた遮断機。運命に従うように蒼汰が走り出す。その背中は振り返らない。涙で彼の背中が見えなくなる。
完全に遮断機が降りた。轟音が迫る。まるで二人を引き剥がすように電車が通過し、蒼汰の姿を飲み込んだ。

あの日、占い師の老婆は言っていた。
「アタシは病院の医療ミスで、孫を失っていてねぇ。まだ幼稚園に入ったばかりの幼い孫をね」
「──そうなんですか」
「命短し恋せよ乙女とはよく言ったもんだ。人間、いつ死んじまうかわかりゃしない」
病室のベッドの上で、眠ったように瞳を閉じる蒼汰の姿を思い出した。
「人生は長いと勘違いして、無駄にしちまってる時間が多い。命を有難がって生きてる人間なんて、そういないもんさ。だから、100秒。その100秒にすべての想いを注ぎ、大切な人との時間を愛おしく感じてもらうのが、アタシの役目さ」
あかりは大きく頷く。
「今から一週間後のその日は、『黄泉の虹』って呼ばれる、死者の魂が大切な人のところに帰ってくる日なのさ」
「そうなんですね……」
「大切な人との時間。楽しんでおいで」
母のような深い優しさに、思わず胸が熱くなった。それだけ言い残すと、老婆は元の怪しい占い師の表情に戻り、邪魔者を追い払う仕草であかりに別れを告げた。

「えっ?」
踏切の向こうで蒼汰が手を振る。
──なんで、まだいるの?
遮断機が上がると、彼は頭を掻きながら、小走りであかりのもとに戻ってきた。
「なんで?」
「なんかさぁ、あっちの世界に戻るためのシステムが故障しちゃったらしい」
「故障?」
「復旧時期は未定らしいんだ」
寂しさと孤独で強張った身体がほぐされる。拍子抜けしたあかりは、大声で笑った。
「じゃあ──」
「それまではこっちの世界にいられるみたい」
どういう状況なのか理解はできていない。でも、もうちょっとだけ蒼汰とは一緒にいられるみたいだ。あかりは蒼汰に抱きついた。
再びその胸に顔を埋める。さっきの涙で湿った蒼汰の服。
「何回泣かせば気が済むんだよ──バカッ」
「ごめん」
蒼汰はあかりの髪を撫でる。
「時間はまだあるみたいだし」
「いっぱいキスしたい」
「そうだな」
「最低でも100回ッ」
目をつむったまま、少し背伸びする。蒼汰の唇があかりに触れる。あかりは心の中で──一回目──と呟く。再び踏切の警報音が鳴り、轟音とともに電車が通過した。

「こっちこっち」
あかりは蒼汰の手を取り、商店街を走る。
「あの占い師さんなの!」
アーケードの先を指差すあかり。
老婆は仕事を終えたのか、占いの道具を片付け、立ち去ろうとするところだった。
「もう行っちゃうんじゃないの? 呼び止めようか?」
蒼汰が叫ぼうとする。
「ちょっと待って!」
蒼汰を制し立ち止まるあかり。歩き出した老婆の左手には、小さな手が握られている。背丈からして、幼稚園児くらいの年齢の男の子。
──お孫さんに会えたんだ。
あかりは蒼汰を見上げる。
「ねぇ? 今日、何回キスしたっけ?」
「キス? えっと……35回だな」
「ざんねーん。32回でした!」

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