あれから5年、ぼくはずっと、大きな穴を埋めている。
くる日もくる日も、ずっとずっと、大きな穴を埋めている…。
ぼくは不思議な力を手に入れた。それは、自分で自分にゲームを課し、その結果、たった一度だけ、自分の望みが叶うというもの。たったそれだけ、ただゲームをするだけで、ぼくはぼくの望みを叶えられる。なんて魅力的な力だろう。なんて素晴らしい力だろう。
ぼくは興奮から、体内のアドレナリンを沸々とさせながら、ゲームと望みを考えた。
ぼくの考えたゲームはこうだ。
ぼくは家の玄関に腰掛ける。ぼくの家の前には、市道が走っており、通行人も多い。ぼくはその通行人を眺める。
それだけじゃゲームにならない。だからぼくはこうした。ぼくがゲームを始めてから、十番目にぼくの『目の前を通過した女性』と、ぼくはセックスができる。そう、それがぼくの考えたゲームであり、ぼくの望み、なのだ。
とある晴れた日、ぼくは早速、家の玄関の扉を開け放ち、どかんと腰をおろし、目の前の市道を眺めた。こんな興奮が、かつてあっただろうか。やや不似合な秋風が吹く、そんな夏の終わり近づく日の午後。ぼくは玄関に座っている。
「おっ!」
すぐに女性が通過した。長い髪を明るく染めた、二十代後半といったところの、OL風の女性。めちゃくちゃタイプだったが、まだ一人目。この人ではない。この人は、ゲームの通過点なのだ。
十番目に通過した女性じゃなくて、一人目に設定すればよかった。といった後悔もほどほどに、ぼくは残りの九人の到来を待った。
ちなみに、男性が通過してもカウントされない。それはもちろんそうだ。こんなめったとないチャンスに、フヌケな設定をしてヘマをしちゃ、たまったもんじゃない。
眺め続けるぼくの目の前を、二番目に通過した女性は、ショートカットで、ボーイッシュな女性。スポーツでもやっているのだろうか、夏の日焼けの名残が多く、快活な印象が伝わってくる。体の肉付きから、陸上競技のアスリートかな?なんて思えてくる。とてもスポーツ万能そうだ。こんな女性も、いいなぁ。やっぱりこんな女性がいいなぁ。
そんな風にニヤニヤしながら、その女性を見過ごす。
三番目、四番目、五番目と、順に女性をやり過ごす。もちろん、どの女性も、選択肢から外すには惜しい女性ばかり。この近くには、女子大もあり中小企業もたくさんあり、スポーツクラブや繁華街だってある。そりゃ、いろんなタイプの女性が目の前を通過するわけだ。ぼくが十番目という数を設定したのも、そんなところに起因する。
どんな女性が十番目にくるのか、ひととおり眺め、楽しみたかったからだ。
そうこうしているうちに、あっという間に、九人の女性がぼくの目の前を通過した。どうせだったら、二十番目にでもすりゃよかった。でも、そんなにおとなしく待てないか。そうだな。
そんなことを心の中でブツブツと呟いている最中、市道の左方面から、ひとりの女性が歩いてきた。
「きたっ!」
そう、十番目の女性がとうとうやってきたのだ。遠目から見るに、三十代前半くらい、凛とした表情から芯の強さが伺える、黒髪ストレートの女性。一見マジメそうに見えてその実、打ち解けるとノリの良さそうな雰囲気も見てとれる。スタイルもとても良く、パンツスタイルの服装が、そのスタイルの良さを強調している。あぁ、もう申し分ない。ぼくにはもったいない。こんな女性とぼくがセックスを。考えただけでも、その興奮に、体中の血管がちぎれてしまいそうだ。
そんな想いをかけ巡らせていると、その女性は、ぼくの前方へとどんどん近づいてくる。近づいて見ると、余計に美人だ。ドクンドクン。心臓が高鳴る。
もう、向こうもぼくと目を合せんばかりにこちらを見ているといったほど、女性は近づいている。あぁ、なんてスラリと伸びた長い脚。なんて白い肌。めちゃくちゃ美しいじゃないか。
あっ、もう目の前にさしかかる。
やった、望みが叶う。
ぼくの望みが、叶う!
そう思った瞬間、市道の左方面から、なんだかズ太い声が聞こえた。
「ちょっとー誰かー、ひったくりがおってん、誰か見ぃひんかったぁ?見たら誰か捕まえてぇ!バッグひったくられてん!」
ズ太い声。関西弁。おばちゃん。なんで?
ぼくは身を乗り出し、市道の左方面を見てみると、自転車に乗ったおばちゃんが、鬼のような形相で、こちらへ向かっているじゃないか…。なんてスピードだ。ヤバイヤバイ。
ぼくの予感は的中してしまいそうだ…。人生、そんなにうまく行くわけがない。どうせ、ずっとずっとツイてないぼくの人生だ。このおばちゃんは、今や目の前を通過せんとしている女性を追い抜くのだろう。そうしておばちゃんが、寸でのところで、十番目の通過者となり、ぼくは望みもしないおばちゃんと、セックスすることになるのだろう。あぁ、もうおばちゃんが迫っている。ぐんぐんと迫っている。あぁ、もう女性を追い抜いてしまう。あぁ、もうすべてが終わってしまう。
そんなやり場のない絶望感に伏していると急に、
「ドカーーーーーーーーーーーン!」
と強烈な音が鳴った。ぼくの目の前で。
ぼくは一瞬何が起こったのか分からず、その音のあまりの大きさと、地響きにも似た衝撃に、呆然と目の前の市道に目をやった。
ぼくの家の玄関の前には、大きな穴が開いていた。隕石でも落ちたのだろうか?と思われるくらい大きな大きな穴が。深さはどれくらいだろう。その穴は、市道のこちら側から向こう側いっぱいに広がり、左から右へと通過ができない状態になってしまった。
その穴を呆然と眺める、ぼく。そして、女性と、おばちゃん。
「あぁ、結局、十人目が通過できなくなってしまった…」
おばちゃんとセックスどころの騒ぎじゃない。これじゃ、ゲームが終わらない。ぼくはゲームを終えることなく、ましてや望みを叶えることなく、この不思議な力を諦めてしまうのだろうか…。
あれから5年、ぼくはずっと、大きな穴を埋めている。
くる日もくる日も、ずっとずっと、大きな穴を埋めている…。
いびつな穴ゆえに、ぼくは穴の底に降り、せっせせっせと、土を埋め、穴を塞ごうとしている。
以前よりもずいぶんと穴は埋まったが、地上に顔が出るまでには、まだまだほど遠い。今日もせっせせっせと、穴深く降り立ち、薄暗い中、土を埋め続ける。せっせせっせと。
この穴を埋めないと、十人目の通過者に出会えない。ぼくの目の前を通過する、十人目の女性に出会えない。ゲームを終え、望みを叶えるまで、ぼくはずっと穴を埋めてやるんだ。いつになってもいい、ぜったいに埋めてやる…。
そんな不毛な決意をスコップに託し、穴を埋めるはるか地上では、ひとりの女性が、その大きな穴を、ひょいっと飛び越えた。ショートカットで、ボーイッシュな女性。きっと、陸上競技のアスリートなのだろう。いとも簡単に、穴を飛び越え、左から右へと通過した。
ぼくは、今日も明日も、穴を埋める。十人目が『目の前を』通過するまで…。