ストレスフルな一日

『10月生まれのあなた。残念ながら今日は何をやってもうまくいかない一日になるでしょう』
「ゲッ、なんかイヤな感じ」
思わずテレビの占いに反応してしまう。
『そんなあなたのラッキーアイテムは、金の延べ棒だよ!』
──金の延べ棒なんて、どこにあるんだよ。
朝の情報番組でおなじみの占いキャラクターが示したラッキーアイテムに呆れ、そそくさとテレビの電源をオフにした。
「いってきまーす」
一人暮らしでもとりあえずの挨拶。そういえば最近、ケンタが家に来なくなったなぁ。この玄関から一緒に出かけていた頃の二人を思い出すと、懐かしさの混じった寂しさが胸を駆け巡った。

ただでさえ遅刻しそうなのに、最上階で停止したエレベーターが降りてこない。
──ちょっと、早くしてよね。
焦って踵を踏み鳴らす。
「うそっ?!」
昨日買ったばかりのストッキングが伝線している。最悪……。もう履き替えに戻る時間もない。会社のトイレまでずっとこのままだ。恥ずかしいなぁ。
ようやく到着したエレベーターに視線を移し溜息。まさかのすし詰め状態。階段で降りるしかないな。7階からだよ。最悪……。乗らない意思を伝えるために小さく会釈。はぁ、ストレスが溜まる。

「マイコちゃん。ごっめん!」
営業の中川守が舌を出して詫びてきた。
「どうかしました?」
「今日中に発行して欲しい請求書、頼むのすっかり忘れててさぁ。けっこう大量にあるんだよね。ほんと、ごめん!」
最悪……。今日は久しぶりにケンタとデートする日なのに。なんでこんなしょうもない男にデートを邪魔されなきゃならないの。
「──わかりました」
目も合わさずに頷く。
「マイコちゃん、怒っちゃった?」
「いえ」
「今度メシでも奢るからさっ! 許してよね!」
営業マンが使う軽薄な常套句。中川に軽く叩かれた肩を払いたくて仕方がない。聞こえるように、わざと大きめの溜息を吐いた。

「結婚、考えてるの?」
トイレでランチ後の化粧直し。隣に同僚の竹下水樹が並ぶ。同期入社の彼女は、プライベートな話ができる会社内で唯一の存在。
「もう25だし、そりゃ考えてるよ。でも、彼の仕事が変わってから、合う時間が減っちゃってるんだよね」
「それ辛いねぇ」
「だから、今日のデートで結婚の意思をハッキリ伝えよって思ってる」
鏡に映った水樹が、手の甲にチークをなじませている。
「そうしな、そうしな。男って鈍感だから。こっちの気持ちを明確に伝えないと、何も理解できない生き物だし」
「だね」

予定外の残業が終わり、彼に電話する。呼び出し音が続き、留守番電話に変わる。何度かけても同じ。待ちくたびれて機嫌を損ねちゃったのかな。オフィスビルのエントランスにあるソファに腰掛ける。
駅へと向かう人の波をガラス越しに眺めていると、彼からの折り返し。
「ほんとごめんね。怒ってる?」
「別れて欲しいんだ」
「えっ?」
ずっとこの先聞くことなどないと、存在すらも忘れていたセリフが受話器から流れた。
「えっ?」
無理やり明るい声色を作り、もう一度聞き返した。
「別れて欲しい」
「なんで、なんで? ちゃんと話しようよ。今日はケンタに会って結婚の話を──」
「もう無理なんだ。他に好きな人ができた。だから、別れてくれ。じゃあ」
一方的に電話が切られた。
どういう状況なのかは理解ができた。でも、心ではまだ受け止められていない。涙を待っている自分がいる。
彼にすがるような真似はしない。彼はきっと、二度と私の電話に出ないだろう。そんな彼の性格を、私は誰よりもよく知っている。ケンタが思いを寄せる新しい女なんかよりもずっと──。

今日一日、ストレスが多すぎる。やっぱり占いって当たるのかな。今からでも金の延べ棒を探したほうがよさそうだ。
コンビニで缶コーヒーを買う。どうやらキャンペーン期間中らしく、レジの店員が抽選箱を出してきた。迷うことなく選んだ一枚を店員に差し出す。
「おめでとうございます! 缶ビール一本、無料プレゼントです!」
店員は嬉しそうに声を張り上げる。私はビールを飲まない人だ。だから何も嬉しくない。
「商品を取ってきますので、少々お待ちください」
そういって店員は売り場へと消えた。欲しくもない缶ビールを待つ間に、私の後ろには会計を待つ男性が三人。店員が不在のレジを見て、少し苛立っているようだ。
──早くしてよね。
レジに戻ってきた店員はさっきの笑顔とは打って変わり、申し訳なさそうな表情。
「誠に申し訳ございません。プレゼント用の商品が切れておりまして。この引換券をご提示いただけましたら、他の店舗でお引き換えが可能ですので──」
「わかりました」
後ろの男性の舌打ちが聞こえた。最悪……。何もかもうまくいかない。こんなストレスフルな一日でも、ケンタが隣にいてくれたら笑って過ごせるのに。ふざけて笑う彼の笑顔を思い出した瞬間、急に涙が溢れてきた。これは止まりそうにないな。
「バカッ」
自動ドアをくぐりながら小さく呟く。その声は、コンビニの駐車場を後にするバイクの音にかき消された。

大声で叫んでやる。すべてのストレスを大声で。そう思いついた私は、地下鉄を乗り継ぎ、河川敷へと向かった。時間ももう遅い。失恋した女が泣き叫んだところで、誰にも迷惑はかからないだろう。
学生の頃、友だちと朝まで無駄話をして過ごした河川敷。対岸には繁華街のネオン。その明かりを反射しながら川面が揺れる。無心にそれを眺めていると、涙の洪水もマシになってきた。乾いた涙で目尻がパリパリする。何もかもがアホらしくなって、大声を出そうとしたとき、少し離れた場所から男の叫ぶ声が聞こえてきた。

「彼女に別の好きな人ができちゃったんですね。私と一緒だ──」
「そうなの?」
「ついさっきの出来事です」
「俺もついさっき」
どうやら彼も私と同じ、フラれ組。それも同じ理由で。自暴自棄になって、河川敷に辿り着いたらしい。それも私と同じ。
「ネオン、きれいですね」
「きれいだね」
「彼女のこと、好きだったんですか?」
「彼のことは?」
「──めちゃくちゃ好きでした」
「俺も好きだった」
降り止んだはずの涙が再び溢れ出してきた。対岸のネオンが涙で滲み、アート作品みたいに歪む。隣の彼は無言で三角座り。
小石を広い、川に投げてみた。
「バカッ」
小さく呟く。喉がちぎれるくらいに叫んでやろうとここに来たはずなのに、なんだかもう、どうでもよくなってきた。
足元の小石を拾っては投げ、呟く。何度も何度も。ケンタへの気持ちを川底に沈めるように。

「おめでとうございます!」
あれから私たちは、時間を忘れてどうでもいい話に耽った。ネコ派かイヌ派かどっちだとか、お互いの職場にいる変な奴の話だとか。
最終電車で帰るために駅へと向かう。途中でコンビニに寄り、彼は缶コーヒーを買った。彼の引いた抽選券が見事当選。店員は満面の笑み。
「野菜ジュースを一本プレゼントします! 商品を取ってきますので少々お待ちください」
店員はレジから勢いよく飛び出す。
「なんか当たったみたい」
「だね」
「ラッキーなのかな?」
「どうだろ?」
レジに戻ってきた店員は、申し訳なさそうな顔。知ってるよ、このパターン。
「誠に申し訳ございません。ただ今、プレゼント用の野菜ジュースを切らしておりまして。ただ、この引換券を他の店舗で提示していただけましたら、商品と交換させていただきますので──」
「ありがと」
彼は優しく微笑み、引換券を受け取った。
「ラッキーじゃなかったね」
「だな」
彼はちょっと嬉しそうに笑う。
彼もどうやら今日一日、ツイてなかったみたいだ。私も彼も今日はストレス日和。占いの言ったとおり──。
「あっ! ねぇ、何月生まれ?」
「どした? 急に」
衝動的に彼に尋ねてしまった。驚く彼。
「十月だけど……」
「やっぱり!」
「やっぱりって、なに?」
「なにもなーい」
コンビニの時計に目をやると、時刻は午前0時1分。新しい一日がはじまる。
「きっと今日の占い、十月の人は一位だよ」
「はぁ? 意味わかんね」

GuX^ V[gV[giJ