夜ざくら観覧車

「十年後の今日、もしお互い恋人がいなかったり結婚してなかったりしたら、もう一度、この場所で会いたいんだ」
あの日、あの約束をしたまま、二人は観覧車の下でそれぞれの道を歩みはじめた。

まだ肌寒さが残る4月。名所になっている夜桜のアーチを抜け、約束の場所に向かってひとり歩く。
なぜ私はあの日、「好き」ってひとことが言えなかったんだろう。どうして彼の気持ちを確かめようとしなかったんだろう。彼には他に好きな人がいたから? それが自分の親友だったから?
──違う。
傷つくのが怖かっただけ。

雲の気配がない、黒一面のキャンバス。観覧車は一定の時間ごとにネオンの色を変え、空に彩りを添える。ネオンがピンク色に輝いたとき、辺りの夜桜の色と相まって、一面が桜色に染まる。私は、お昼の桜よりも、夜桜派かな。あの日、何気なく彼に言ったセリフを思い出す。

「ひさしぶり」
「あっ」
ネオンが水色から緑色に変わったとき、その声は訪れた。十年間、私が待ち望んだ声だ。
「おとなっぽくなったね」
「矢崎くんも……」
高校を卒業して以来、二人は一度も会っていない。その後、彼がどうやって生きてきたのか私は知らないし、彼だってきっとそう。
昔は彼のことを『きみ』と呼んでいたのに、空白の時間があまりにも長すぎて、思わず名字で呼んでしまった。それが寂しくて、目を伏せてしまう。
「元気だった?」
彼はグレーのワークパンツのポケットに両手を突っ込み、身長差のある私を見下ろす。昔と変わらない感じ。見上げながら頷くと彼は、「よかった」と笑った。

十年ぶりに乗る観覧車。身長が伸びたわけじゃないのに、少し窮屈に感じる。
4月なのに寒い。夜景めっちゃきれい。沈黙を埋めるためだけの、そんな彼のひとり言が続く。
冷えた指先の感触を確かめながら、私は彼のひとり言を遮った。
「シオリとはうまく行ってるの?」
「シオリ?」
密室に彼の拍子抜けした声が響く。
「学校じゃ有名だったよ。君がシオリのことを好きっていうの」
シオリからも直接聞かされた。彼が自分のことを好きだってこと。そして、卒業後は彼と付き合うことになるという宣告。
私はその後、シオリとも会っていない。あれだけ仲良く過ごしていたのに、急に彼女の存在が敵に変わった。彼とシオリが紡ぐ未来を、隣で見届けることはできないと思い、彼女の連絡先をブロックした。
「しょうもない噂だな」
「噂……? だって──」
「シオリからは告白されたよ」
「じゃあ、なんで?」
「断った」
「うそ?」
さっきまで冷えていた指先が熱を帯びる。
「だって俺が本当に好きだったのは──」
彼が言いかけたとき、大きく軋むような音ともに観覧車の動作が停止した。惰性でゴンドラが揺れる。警告音が二度ほど鳴り響き、ネオンの明かりが消えた。

「大丈夫か?」
「──うん」
何があったんだろうと呟きながら、特に焦った様子も見せずに地上を見下ろす彼。冷静さを取り戻そうと、彼の視線に倣う。二人の乗るゴンドラは、ほぼ頂上で停車している。
月明かりだけが頼りの闇。視界に広がるパノラマの景色が美しかった。左には海。工場夜景。右にはライトアップされた夜桜。世界はどこもかしこも輝きに包まれている。
いつ動くんだろうと首を傾げながら、彼が私の隣に腰を下ろした。彼との距離に高ぶる心臓の鼓動。彼の耳にも届いてしまいそうだ。

長い沈黙の後、彼が口を開いた。
「俺、昔っから美咲のことが好きだった」
「うそ……」
「付き合って欲しいんだ。ちゃんと十年も待ったんだし」
十年待ったのは私だよ。そう言いたかった。でも、彼のことを待たせてしまったのは、私のほうかもしれないね。
ふいに影が動く。左頬に感じる体温。
彼の口唇と私の口唇が触れる。

十年の間に、観覧車は何度回転したんだろう。桜は何度散り、そして花開いたのだろう。
復旧したのか、観覧車は再びゆっくりと動きはじめた。ネオンはまだ灯らない。でも、私の心は輝いている。
彼が隣にいて、彼の手に触れられて、こうして彼の温度を確かめている。ずっとこうしていたい夜。過去と未来をつなぐ大切な夜。

観覧車を降り、出口に向かって並んで歩く。券売機の脇に小さなポスターを見つけた。
『恋のハプニングで観覧車を停止させて、大好きな恋人に告白しちゃおう!』
え? これって何かのイベントだったの?
「ねぇ、君も知ってたの、これ?」
彼の袖を引っ張る。
「さあね」
彼は笑った。
どっちでもいいや、そんなこと。
さっきは別々にくぐってきた夜桜のアーチに向かって歩いていく。二人、手をつないだまま。

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